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砂漠の晴れ男

ブータ「ねえねえ、僕の友達イノシッシは砂漠に住んでるんだけど、イノシッシが外出する日の90%が晴れなんだって!まさに晴れ男だね!」

私「へー、90%か〜。ちなみに、その砂漠ではどれくらい雨が降るの?」

ブータ「1年に4日しか降らないって聞いたよ。」

私「じゃあ、365日の内4日だから約1%だね。逆に、99%の確率で晴れていることになる。私みたいに晴れ男でも雨男でもない人がその砂漠に住んだら、外出する日の99%は晴れるんじゃないかな?」

ブータ「そんなっ!!!イノシッシは『砂漠の雨男』だったのか!」

データと論理

 データが正しくても、そこから導かれる判断が正しいとは限らない。データから判断に至る推論過程に問題がある可能性があるから。論理の妥当性を検討することは、データの信憑性を検討することと同じくらい重要だと思う。
 「晴れ男」は、ある人にとって重要な日が期待される頻度より高頻度で晴れるために、その人自身に晴れを引き寄せる力があるように感じられることを表す言葉。だから、「期待される頻度」がいくらなのか考える必要がある。
 コロナに関する話題だけでも、私たちは新規陽性者数やワクチン接種率など膨大なデータを目にする。メディアや政治家の主張が正しいのか考えるためには、根拠となるデータから主張に至る論理に目を向けることが大切。「データがフェイクじゃなさそうだから、この人の主張は正しそう」と考えるのはキケン。

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