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鏡よ鏡。-40過ぎまで鏡を見られなかった私が、克服した話①-

※Cover photo by Milada Vigerova of Unsplash

4歳くらいから40過ぎまで鏡で顔を見られなかった、ワイの話を読んでってくれ。

重い話ではあるが、もう克服したのでまぁ、気楽に読んでほしい。

40過ぎまで鏡見られなかったなんて、信じていただけないかも知れないし、信じてもらえたとしてもドン引きだろうが、事実だ。

正確に言うと鏡を全く見らないわけではなく、焦点を合わさず、ぼんやりとか、さっと一瞬しか見られない感じ。どうしても必要があって見る時は特定の部分のみを注視して全体は決して見ないようにしていた。

醜形恐怖症とか醜貌恐怖症、多分そんな感じのやつだと思う。

「あ〜、学校でブスって言われてトラウマになったんだね?」
と気の毒に思ってくださる心優しい方もいるかも知れない。

…申し訳ない、不正解だ。

少なくとも容姿のことでは「チビ」について散々からかわれたものの、顔面のことは不思議なことに他人には、何も言われなかった。他人のほとんどは、私にやさしくしてくれた。

「チビ」については今も散々イジられているが、関西人としてはオイシイいじりとしてさほどダメージは受けず、自分でも小さいとか太っているとかもちゃんと受け止めながら、鏡を見ることができていた。

恐怖対象だったのは顔面のみで、始まったのは学校社会に揉まれる前からなのだ。

原因はベタだが、まぁ親だ。特に母親のほう。

母という人は、娘の私が言うのもなんだが、たいそうな美人であった。ちょっと日本人離れしたというか、バタくさいというか。特に目が大きく、顔の骨格がごつく、強気な表情も相まって若い頃の写真を見るとグレース・ケリーやらイングリッド・バーグマンに似ている派手な顔立ちだった。

あ、グレース・ケリーってこんな人。のちにモナコ王妃になった女優さん。

ちなみに、母からは容姿以外のことでも結構ひどい虐待を受けていたので母自体が恐怖対象なのだが、似ているグレース・ケリー王妃は聡明で心も美しい人だったと聞いたからか、怖く感じず、大好きだ。

んで、イングリッド・バーグマンはこんな感じ。

イングリッドのほうは、最初の結婚でできた娘を捨てて他国の有名監督と不倫の末に再婚するのだが、後に捨てたほうの娘に許しを乞うて拒絶されたらしいと聞いて(最終的に和解したとかしなかったとか諸説ある)、なんとなく母の人生や性格に重なるところがあり、そういえば、永遠の名作「カサブランカ」で彼女が演じた女も、自分がしでかしたことを、自分が綺麗さっぱり忘れたように、傷つけた相手も水に流して許してくれる、と信じて疑わない嫌らしさがあるヒロインだよなぁ…と明に納得したりして、なんとなく少し苦手だ(怖くはない)。

いや、似ている女優の人生やらは置いといて。
なんとなく、母の顔面のインパクトはご想像いただけただろうか。

でも、ただ単に母の容姿が美しかったことが私の恐怖症の原因ではない。
それだけなら、ある程度コンプレックスにはなったかも知れないが、恐怖症にはならなかったと思う。
現に幼い私は、母の容姿の綺麗さを素直に素敵だと思っていて、綺麗なお母さんで嬉しいと感じていた。

ではなにがいけなかったのか。

母はルッキズムの権化というか、不美人に対して一切の人権を認めない人だった。大昔の女王が奴隷に対してするような、明からさまに見下した態度を取ったり、その人の居ないところでここでは書けないような言葉で罵るのが日常だった。

それは、母自身が「容姿の美しさ以外、人より優位に立てるものがない」というコンプレックスの裏返しだったと後になって理解できたが、幼い頃は親の言うことは絶対だし、母自身の圧倒的な顔面美や、彼女の態度を見ていると、変な説得力があった。

非常に残念なことに、私は母に似なかった。父似100%濃縮還元だ。

ルッキズムの女王が選んだ男なら、父もそれなりの顔面美なのでないかと思うかも知れない。

…だよね。…私もそう思ったもん。なんでやねん、なんでこの人選ぶねん、ってずっと思ってたもん。世界七不思議の一つに入れてもいいくらい不思議だったもん。

父は顔面に限らず、なに一つ、女性が魅力的に感じる部分がない人だった。そのことはまた、別のお話で語りたいが母は、
「私が産む子なら、しかも女の子なら、当然私に似た相当な美人であろう」
と自らのDNAに対する信頼100%で赤子を産んだ。

これもまた別の話に書くが、私が父に似ていることは「間違いなく父の子である」という確固たる証明にもなり、DNA鑑定なんてなかったあの頃、ある意味母の役に立ったのであるが、母は物事の負の部分しか見ない人だ。

「自分が最も蔑んでいる、容姿の醜い子供を我が子と呼ばねばならぬ、世界一不幸で美しい母親」
という悲劇の女王に転向した。

母にとって、子はアクセサリーだ。

お行儀も頭がよくて、容姿もいい、そんな自慢できる日の打ちどころのないアクセサリーが欲しかったのに、とんだ誤算だ。その怒りと悲しみは、当然幼かった私に向けられた。

「気持ち悪い顔で笑うな」「そばへ寄るな」「母娘と思われたくないから、一緒に歩くな」「かわいい娘が欲しかったのに、どうしてこんな目に遭うの」
そんな言葉を赤ちゃんの頃から投げつけられ、「お前のせいで私は不幸だ」と泣かれた。

純真だった幼児の私は、その言葉に傷つくというより、母に対して申し訳なく、悲しかった。母のために、美しく生まれたかったと神を呪った。

まだギリギリ鏡が見られた頃、母の三面鏡を顔を挟むようにして覗き込むと、私に似た女の子がいっぱい、そこに現れた。みんな、なんとも言えない寂しそうな顔をしていた。

当時、鏡の向こうは異次元で、そこに映るのは単に像ではなく、向こうの世界に生きる別個人だと想像していたので、ここに集まりし不美人な皆の衆も、同じつらい思いをしているのかな…と思って、「つらいやろけど、がんばろな」という気持ちを込めて、ぎこちない笑みを送るという、そこそこのヤバみを感じる遊びを行っていた。
鏡の向こうの「仲間たち」も、毎回同じ無理矢理の笑みを返してくれて、泣き顔を見られないようにそっと三面鏡を閉じていた。

思春期に入り、数々の失敗体験、対人恐怖症など他の恐怖症も重なってどんどん恐怖は酷くなった。若い頃性被害に頻繁にあったのも追い打ちをかけたかも知れない。

成人を超えた頃、当時付き合っていた人間クズのような男に養ってもらう形で引きこもり状態になり、可能な限り人前には出ず、出る時は帽子などで顔を隠すようになった。醜い私には、そういう男がお似合いのような気がしたし、こんな私を養ってくれて当然ありがたいと思っていたし、なにをされても我慢すべきと思っていた。

私は、生きながら社会的には存在しない人となり、長い年月を過ごした。

鏡を見ると、文字通り吐くような状態だったし、女子トイレのような共同の場で鏡の前に立つのが何より怖かった。当然美容室などには行けないので自分で切った。化粧も
「ブスのくせに化粧しても同じでしょうよ?」
などと不快な思いをさせるのではと怖くなりできないし、写真が何より怖くて取れず、できるだけ避けた。整形も考えたがお金もないし、
「こんなひどいブサイクは整形したって無駄だ」
と医者や看護師が不快になるのではと怖くて、お金があってもきっと無理だったと思う。

また、整形して仮に容姿が自分の思う完璧な姿になったとしても、ある程度の自信にはつながるかも知れないが、この恐怖心自体は消えないことがなんとなく自分でも分かっていた。

途中から、付き合っていた男の態度が軟化して状況が良くなったのと、図書館の本やインターネットで情報を集めて自分の問題に取り組むうちに、数年掛かったものの、40過ぎてから鏡をなんのてらいもなく見られるようになり、さらには働きに出て、外資系企業で外人と英語で喧嘩するような、それはそれでどうなの、と思うようなこともできるようになった上、
「笑顔が最強!」
などと言われるようになるんだから、人生わからないもんだ。

どんな感じで克服していったのか、そのへんを次回書きたいと思う。

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長いの読んでくれたあなたに、いいことありますように!
ありがとう。

えっ、サポートいただけるなんて、そ、そんな…喜んじゃいます…!