鎌倉殿最終章は劇中劇なのか考察

はじめに

第40話から始まった『鎌倉殿の13人』なのだが、なんかこれ劇中劇をやってる気がするな、と思ったので検証していきたい。
歴史的な動きとか個々の心理よりは全体の構成というか、演出の仕掛けとか、文脈的なことで分析していく。
とはいえ専門家ではない素人考察なので穴がある点についてはご容赦願いたい。

劇中劇の論拠

時代劇で劇中劇をやるというのもおかしな話ではあるのだが、なぜ劇中劇だと思ったのか論拠になりそうなものを述べていく。

1.鳥の鳴き声が多い

鎌倉殿第38話では時政と義時が別れの挨拶でウグイスの鳴き声の話をするが、第41話では印象的なシーンで鳥の鳴き声がしているように感じされる。
これがものすごく文学的、かつ演劇的な印象を受ける。
印象的なのは鳥の声なわけだが、他二もちょいちょい台詞回しや道具使いがちょっと誇張されて演劇的か、というシーンがいくつか散見される。小さな違和感なので気のせいと言われると反論しようもないのだが…。

余談だが第38話のウグイスの下りは恐らく視聴者に今後は鳥の鳴き声に注目して欲しいという意図の篭もったセリフだと思われるので鳥に詳しい人はこの先も鳥の声を聞いてみるといいと思う。

2.第39話で長澤まさみが登場

長澤まさみはナレーションなのだが、彼女が第39話冒頭で登場した。われわれ視聴者者に話しかけたあとカメラが切り替わって細い小径で義時と長澤まさみがすれ違うのだが、個々に小さな違和感が仕組まれている。
下女と思わしき長澤まさみに道を譲られて義時が小さく頭を下げるのだ。
相手は下女なのだから義時はふつう頭を下げなくてよいはずなのだが、ちらっと会釈をする。この光景が「楽屋前でとかですれ違った役者同士」っぽさを思わせる。
ナレーションはいわゆる「天の声」通常ドラマや舞台では姿を現わさない。それが姿を現わしたと言うことは、第39話は舞台外の話なのではないか?
しかしドラマ内で舞台外の話を出してくる…舞台が入れ子構造になっている=最終章は劇中劇、か?

3.やたらギリシャ(西洋)推し

『鎌倉殿の13人』は鎌倉幕府成立前後を描いた時代劇なのだが、やたら西洋的なエッセンスを押し込んでいる。BGMにクラシックを使用するとか。
とりわけ第40話以降一気にギリシャに寄せてきている。
巫女の預言、泰時の戦術…なぜここに来てギリシャなのわからなかったのだが、恐らくこれは「ギリシャ悲劇」を想起させるためだと思われる。
というか、恐らく最終章は「ギリシャ悲劇」なのではなかろうか?

ギリシア悲劇(ギリシアひげき、ギリシャ語: τραγῳδία, tragōdia、トラゴーディア)は、古代ギリシアで、アテナイディオニュシア祭において上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%82%B2%E5%8A%87

wikiを一部引用したがよろしければ元記事を全部ご覧いただきたい。
ギリシャ悲劇は3部(3つの悲劇)+サテュロス劇(笑劇)の全4篇構成で行われるそうだ。
そして『鎌倉殿の13人』も4部構成である。あやしい!
入れ子構造のギリシャ悲劇にしているのでは?

と言うわけで以下4部作の演劇としてどういう構造か分析していく。

入れ子構造の仕組み

『鎌倉殿の13人』は全体的に大きな4つの区分によって成立している。

  1. 源平合戦まで

  2. 源頼朝死亡まで

  3. 13人体制確立~時政失脚まで

  4. 執権・北条義時

第39話以降、物語は最終章(4.執権・北条義時)に入っていくわけだが、義時が執権の地位に就いて以降は3つの大きな出来事がある。
これに死亡までを足すと4部構成だ。

  1. 和田合戦

  2. 実朝の暗殺

  3. 承久の乱

  4. 義時死亡まで

4つのパートに分けられるドラマの4番目を更に4つに分けている…完璧な入れ子構造である。
よって最終章の出来事はそれぞれが一つ一つの劇中劇として扱われていると思われる。
演劇の中で演劇をやる劇中劇は見ている観客に演劇であることを明白に伝えるためより大袈裟に演劇的になるという特徴がある。
ひょっとしたらこれがドラマ終盤になってちょいちょい感じる不思議な違和感の正体なのかもしれない。

ギリシャ悲劇としての『鎌倉殿の13人』

では入れ子構造の演劇を見ていると仮定して、ギリシャ悲劇として4つのお芝居をもう少し具体的に分析していきたいと思う。

基本的にギリシャ悲劇はデュオニュソスという酒の神に捧げられる酒神礼賛のお芝居であるらしい。具体的には前述のwikiを参照していただきたい。
ではNHKは誰をデュオニュソスに見立てているのかという話だが、これはまあ視聴者以外あり得ないだろう。
日曜の夕方酒を飲みながら『鎌倉殿の13人』を見てやんややんたしている俺らだ。『鎌倉殿の13人』は視聴者に捧げられた悲劇ということだ。

各演目の主人公についてだが、基本的に悲劇の主人公は悲惨な目に遭ってなんぼである。最後に死ぬ、もしくは社会的には死に等しいなにかに遭って幕となる。
と言うわけで以下ざっくりとした筋書きと主演が誰かを分析してみる。

1.源平合戦まで

主人公はもちろん平家。源氏方は勝つので悲劇の主人公たり得ない。ここでは源氏以外の登場人物は全部敵方を演じたトラと言うことになる。
ただし頼朝、義経辺りは敵役として大役のポジションに着いていると思われる。筋書きは『平家物語』そのままなので解説する必要もないだろう。
芝居の系統としては戦争物、というところか。大姫の下り辺りは悲恋劇の要素を持つ部分もあるだろう。

2.源頼朝死亡まで

源頼朝は文句なしのタイトルロール、主人公である。
筋書きとしては猜疑心に捕らわれた王があらぬ疑いから次々と身内の者を手に掛け、やがて孤立を深めていくというところか。孤独極まったところで真の信心に目覚め他者の真心に気づくが、気づいたところで時既に遅く死神は頼朝の命を奪っていく。
真心と信心が手に入らずに死ぬというのを悲劇的に解釈するのはギリシャ的よりもキリスト教的かもしれない。
義時の役割は王に従う道化師あたりか。道化師は西洋の演劇ではしばしば重要な役どころだ。シェイクスピアの作品にも出てくる。

3.鎌倉殿の13人

三部はドラマの最もメインとなるパートである。
群像劇の側面が大きく誰が主人公とは言い難いわけだが…それでも全編通して軸になる主人公を一人選べと言われたら「北条時政」だと思われる。
繰り返しになるが悲劇の主人公は悲惨な目に遭ってなんぼである。最終的に父を追い出し勝利する義時は二枚目の役者ではあっても主演ではない。
また主人公は途中退場せずにクライマックスまでは生きているのが原則だ。そういう意味では他の登場人物も主人公とは言い難い。
時政が苦悩しながらも友や親族と争い、頂点を目指していく。ようやく掴んだ、と言うところで息子・義時に追い出され、名誉の自殺も叶わず伊豆に流されるのだ。

そういえばこの話の中で義時がりくに「父が天下の器だと思うのか?」的なことを問いかけるシーンがあり、りくが「もちろん」と答える。
この天下の器=主演の器と解釈できるかもしれない。
このパートでは時政が主人公なので肯定するのは当然だったのかも。
そして去り際義時に「あなたは天下を治めるに相応しい」=主演に相応しい、と伝えて去って言ったのでは?

4.執権・北条義時

主演はもちろん我らが北条義時だが…問題がある。
この第4部はギリシャ悲劇的に乗っ取ればサテュロス劇と言うことになるのだ。つまり義時だけは悲劇ではなく笑劇の主人公、と言うことになる。
サテュロス劇が具体的にどのような演劇なのか私はちょっとわからないのだが、観客が笑うような滑稽な芝居であるようだ。
滑稽なお芝居で観客を笑わせる、いわゆる道化芝居の類いだと思われる。
そして前述の通り、この第4部は入れ子構造の劇中劇になっている。
義時は最終章全編通すと主演だが、道化師の役であり、恐らく3編の悲劇において主演をしないと思われる。

恐らく、3編の演劇を通して義時を虚仮にし、物笑いの種にする構成になっているのではないかと思われる。
次の項目で具体的に考察していく。

劇中劇としての最終幕

具体的に考察しようと入ったが、演目としてはようやく第一部の和田合戦が終わったところなので、それ以降については考察と言うよりは推察になる。
ただ劇中劇であるから3部はより大袈裟で型にはまった演目となっているはずだ。

1.和田合戦

主演はタイトルロールになる和田義盛である。
演目の内容は悲恋劇。ヒロインは源実朝。いわゆる女形だ。
義時は敵役である。

男同士が演じる恋愛劇というとBLぽくなってしまうが、古典的な男女恋愛の悲劇の方に押し込めてある。これは不自然でもなんでもなく、ギリシャもそうだろうが中世など、公で行われる演劇の役者は女人禁制であった為、男が女役をやるのはとても自然である。特にアネテは女性の自由はかなり制限されている都市だったはず。

実朝の役どころは若くして一国を継いだ女王というところ。
和田義盛は彼女と心を通わせる侍別当=近衛兵隊長、と言った辺りだろう。
義時は最大の敵役であるので、宰相として国中で幅を利かせているだけでは飽き足らず、若く美しい女王の伴侶の座を狙っている叔父さん、というところか。

筋書きとしては
女王と近衛兵隊長の相愛の仲に気づいた宰相が二人を引き裂くべく策謀を巡らす。二人はなんとか愛を貫こうとするも、近衛兵隊長の身内が王国に戦を仕掛けてしまう。
女王は近衛兵隊長の命乞いをするも、脅され、逆に宰相との婚姻届にサインをするよう迫られる。
結婚を承諾した女王に対し宰相は最後にひと目会うことを許すが、目の前で恋人である近衛兵隊長を斬殺する。
これで女王は自分のものと息巻く宰相だったが、女王は「おまえに身を任せるくらいならば天に身を任せる」と自ら命を絶つ。
こんな感じか。

実朝と義盛が相思相愛の仲なの言うまでもない。
宰相が結婚を迫るくだりは義時が実朝に和田の援軍に寝返るよう指示する手紙にサインを迫るくだりだ。実朝がサインしようか悩み、書きかけたところで三善いったん止めるも結局は押し切られてサインしてしまうのはなんとも演劇的だった。
降伏勧告のために実朝が義盛の前に現れ、義盛が二心ないことを表現するのに「俺の心臓を見せたい」的なことを告げるが、これは古典的かつ熱烈な愛情表現の一つ。
戦のあと実朝と義時が二人きりで話をするが初夜なので他の人間がいない。
そして義時は勝利宣言とも取れる発言をするが、実朝は「西の方」に意向を伺うと告げる。上皇=現人神、神の意を受ける=死、という論法だ。死じゃなくて出家でもいいけど。
いずれにせよあとに残ったのは若く美しい新妻を抱くことなく逃げられてしまったおじさんただ一人、ということになる。
これで第一演目は幕引きである。

2.実朝暗殺

第二演目は実朝暗殺にまつわる話で間違いはない。
具体的にどのような話になるかはわからないが、主演はやはりタイトルロールになる実朝だろうと思われる。
若く賢く、少々理想主義の王である青年が己を親の敵と勘違いした義理の息子である甥によって暗殺される仇討ちの悲劇だ。

気にになるのはOPで義時が武装した状態で八幡宮の前に立っていることだけど…義時は全編通して道化で滑稽な役に収まることになると仮定される。
仮にあれが義時が暗殺を目論んでいる姿だとしたら失敗する気がする。義時と公暁が手を組むことはないかな?
いずれにしろ見ている我々はおいおいおい、となる気がする。

3.承久の乱

恐らく群像劇の仕立てになるのではないかと思うのだが、強いて主人公を上げるとしたらやはり隠岐に流されることになる後鳥羽上皇ではないかと思われる。
とはいえ戦争物なので敵方になる鎌倉にも魅力的な敵役がたくさん登場するはずだが、大江、三浦、政子、そして朝時あたりが敵役の中心に収まってくると思われる。
政子は本来女性なので役はないはずなのだが、出家しているのでセーフという扱いかもしれない。西洋では女性は長らく聖歌隊には入れなかったが修道女は別だったのでその理論かも。
3部になって義時はより滑稽さが際立つのではないか…という気がしている。

4.義時の死

全ての悲劇が終わって最後の演目だ。
型どおり行けばここはサテュロス劇という笑えるお芝居が待っていることになる。義時が道化だったことが明確に出てくるのではないかと思うのだが、まあただの予想である。
また鶴丸こと平盛綱が重要な役に就くのではないかという気がしているが、その予測がなぜなのかは次で説明する。

誰に捧げられた劇中劇か

繰り返しになるが、ギリシャ悲劇はデュオニュソスという酒の神に捧げられる酒神礼賛の催し物である。
と言うことでこの際終幕、誰かがデュオニュソスに見立てられているはずなのだ。

まあもったいぶらずに結論を申し上げると北条泰時=デュオニュソスで間違いないかと思われる。
デュオニュソスは豊穣と葡萄酒の神でサテュロスという従者を連れている。
サテュロス劇のサテュロスはデュオニュソスの従者の名前から来ているようだ。
泰時は北条の人間で酒飲みでついでに鶴丸(平盛綱)という従者を連れている。鶴丸=サテュロスなので彼は義時の死の物語で非常に大きな役割を負っていると思われる。

第39話を少し振り返っていきたい。
わたしはここはいわゆる舞台外の話ではないか、という推測したわけだが、ではどういう状況なのか考察していく。
「これからデュオニシア祭りが始まる。我らがデュオニソスに捧げるための演劇の用意をさあみんなでやっていこうじゃないか!」
状況として恐らくこれだ。
演劇なのだからまずは脚本を書き、役者を決めねばならない。さあ急げ急げ。脚本の内容は神様に気に入って貰えるものにするべきだろう。
実朝が泰時に和歌を送る。和歌=芝居の脚本だ。
「春霞 たつたの山の 桜花 おぼつかなきを 知る人のなさ」
ぽわぽわ恋歌だ。デュオニュソス泰時は首をひねる。はてさて、自分の祭りで開催される芝居はこのようなものであったかな?
すると源仲章が「めっちゃ初々しい恋物語!素敵!」と教えてくれる。
デュオニュソス泰時は実朝のところに戻って告げる。
「送り先を間違っているのでは?」=この脚本、僕の祭り用じゃなくない?
デュオニシア祭で催されるのは悲劇なので。
実朝は「そうであった」と言って次の和歌を送る。
「大海の 磯もとどろに 寄する浪 われて砕けて 裂けて散るかも」
割れ(和田合戦)
砕け(実朝暗殺)
裂け(承久の乱)
散る(義時の死)
無事に悲劇の脚本が泰時の手元に渡り、ここから泰時は酒を飲み始める=正式にデュオニュソスになったことになる。
原作扱いの吾妻鏡は元々泰時を非常に美化=礼賛している物語でもある。
俺らの泰時に捧げる四つのお芝居と言うわけだね。

そう考えると第41話朝時に「役に立つ男になれよ」と言ったのは「役が貰えるような男になれよ」と言うことかもしれない。知らんけど。

おわりに

繰り返しになるが素人考察である。
特に42話以降は放送もされていないのだから全てはただの推測に過ぎない。
具体的にどういう脚本と演出が組まれているのかはさっぱりわからないので、全体の構造がこういう話かもなぁ…くらいのぼんやりした受け止め方をしていただけたらよいかと。
わたしも全体の構造はこうかもな、と思いつつクライマックスが具体的にどうなるかはさっぱり予想が付かないのでこのあともものすごく楽しみだなぁ!と思っております。

ちなみにわたしが枠で話を見ている理由は登場人物に感情移入すると辛すぎるのでなるべく没入しすぎないようにするためです…みんな、心強く持とうな…

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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