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梅まつりと1月31日のリノベーション@牛乳ビル

文:守屋佑一

前日にくいしんを東京まで迎えに行って明け方帰ってきた僕は寝過ぎるのを恐れて自分が住んでいるアパートの駐車場で車中泊をした。
このような行動は僕にとっては別段珍しいことではなく、日常の一風景に過ぎない。
約二時間ほどの睡眠で冬の寒い朝の空気を肌で感じて目を覚ます。
いくら厚着をしていたって、この寒さは少し応える。

この日はとてもハードスケジュールだ。
この時、まだサラリーマンだった僕はほぼ毎週土日出勤していた。しかも、朝か夕の一時間だけ。
なぜなのか、と問われるとサラリーマンとはそういうもんだからと答えるしかない。
詳しい言及はしないが、この時期は部署総出でシフトを組んで平日も土日も一時間だけ立ち会わなきゃいけない仕事があった。

それが終わったら今度はすぐさまこの日が開幕の曽我の梅まつり。下曽我駅にボランティアの学生たちを迎えに行き、中河原へと連れいった。
祭りが毎年毎年開催出来るのは、大きな祭りも、小さな祭りも例外なくボランティアのおかげで成り立っている。
人の数の力に勝るものはない。
それだけ人がもつ、エネルギーというものは凄まじいのだろう。
牛乳ビルのリノベーションももっと人の数があれば…と思ってしまうこともよくある。

梅まつりは約一ヶ月の長期間続くお祭りだ。梅まつり期間の土日、僕はほとんど曽我にいる。
なかなか1日いれる日は少ない。
この日も午前中だけ手伝いをして、直也からもう家を出れるとの連絡を受けて午後からの牛乳ビルのリノベーションのため、梅まつりを後にした。
出る直前、直也はくいしんを何度も起こしたらしいが、起きなかったので一人で来ると言った。やっぱりくいしんはいつものパターン通り途中からなんだと思った。

しかし、直也が出た直後くらいに目を覚ましたらしく、直也はくいしんを迎えに家に戻った。
同じ家にいたはずなのに、携帯上でやり取りする二人がなんだかおかしかった。

もうひとつ、パターンから外れたことがあった。それはこの日が晴れだということ。さいしょのリノベーションのときに書いたが、リノベーションをする日はだいたいいつも雨が降っていた。

直也とくいしんから少し遅れて牛乳ビルへと到着した僕はまずその床に驚いた。
直也が智之から譲り受け、必死になって運んだ木材がびっしりと敷き詰めてられていたからだ。


これを全部ここに運ぶには相当な労力がかかっただろう。
詳しくはMOKUZAI WARSの三部作を読んでほしい。


見映えが代わり、なんだかやっとリノベーションぽくなったとわくわくしてきた。だってこれまでリノベーションは掃除みたいなことばかりやっているのだから。
だけれど、この日もやることといったら奥の部屋、通称社長室の床はがしだった。

くいしんと直也は途中、ホームセンターに買い出しに行ってしまい、僕はiPadでパスピエを大音量で聞きながらひたすら床を削る作業。削りやすいものは初日にほぼやってしまったため、この日に残った床は全然削れないものばかり。

くいしんと直也がホームセンターから戻ってきた。
直也は社長室じゃないほうの部屋でなにかしている。僕とくいしんはひたすら床はがし。
そしてあっというまに夕方になった。
床はまだまだ張り付いたままだ。


この時点で牛乳ビルは電気が通っていなかったので、4時半を過ぎるともう作業なんか出来やしなかった。
この日は夕方から各々予定があったので、ほんの少しだけお馴染みのデニーズで打ち合わせをして解散した。

6月11日現在。リノベーションはまだ終わっちゃいないし床はまだ全部剥がれちゃいない。

※この記事は全文無料の投げ銭コンテンツです。投げ銭はまだまだ完成しない牛乳ビルのリノベーション資金となります。

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