1月30日くいしんを東京へ迎えに行った話。
文:守屋佑一
1月も終わりに差し掛かり、牛乳ビルのリノベーションだけでなく、僕はいろんなことが忙しくなっていった。
なぜならば、運営に携わっている1月31日より小田原でも有数のお祭り「小田原梅まつり(https://m.facebook.com/sogaume )」
がはじまるから、だけではなく夏に一度折れた自分自身の真の志をもう一度貫こうと決めたから。
しかし、そう決めたはよいもののそれもやっばり大きな色んな障害があって、それが駄目になってその後始末やら仕事やら色々色々忙しかった。
それでもリノベーションは終わらせなければいけないし時は先に向かって進み続けている。
夢を諦めたって前に進まなきゃいけない。
心は折れてないはずだ。
そんなこんなでいろんなことをやり続けている。
1月30日。俗にいう花金のこの日も仕事が終わって「ハミダセ」という小田原で開催されているソーシャルグッドなアイデアソン(なんのこっちゃ分かりにくいが、要はこわなことして社会の仕組みをよくしたい!というアイデアを持ち寄ってみんなで実現しようみたいな勉強会)に参加をしていた。
僕はこういう会に出たとき、いつもなら間違いなく懇親会にも出席する。
なぜならば、懇親会のほうが話が広がりいろんなことに繋がる可能性が高いからだ。
だけれども、この日は泣く泣く懇親会をキャンセルした。
翌日から開会する梅まつりのため、ではなく、翌日のリノベーションのため年末に東京へ引っ越したくいしんを迎えに行くためだった。
くいしんは引っ越しのたんびにたくさんの物を捨てるらしい。
貧乏で貧乏性な僕はその話を聞いて、いてもたってもいられなかった。
ヤフオクで売ればいいのに、と。
なにかに使えるかもしれないのに、と。
そもそも僕はリサイクルとか、あるもの使うとかそういうことが大好きだ。
だから幼い頃の思い出があり、小田原がずーっと使ってない梅丸を復活させてTシャツを作った。
だから普段使われてない公民館を使ってkouminkan cafe(https://m.facebook.com/kouminakncafe)をはじめた。
そんな僕には、ただ目の前で捨てられるものがあるのが我慢ならなかった。
それで、くいしんを迎えに行ってその捨てるはずのものをもらってしまおうと考えた。
東京までの道のりは長かった。仕事の疲れ、ハミダセの疲れ。それらがどっと出て、コンビニで仮眠をして、くいしんの家には日が変わった頃についた。
それから荷物を車いっぱいに詰め込んで、下道で小田原へと向かった。
車中でくいしんとは小田原の情勢について話した。
夢中で話をして、気付けば朝の4時で、小田原でデニーズによった。
学生の頃は飽きるほど行っていた夜中ドライブ。大人になりすることは少なくなったが、身体の気だるさがなんだかあの頃を少しだけ思い出させた。
翌日は朝から梅まつりだ。午後からはリノベーションだ。
とてもとても疲れた。くいしんを無事家まで送り届け、うちに帰り、梅まつりに寝坊しないように駐車場で車のなかで僕は浅い眠りについた。
※この記事は全文無料の投げ銭ブログです。投げ銭はまだまだ完成しない牛乳ビルのリノベーション資金となります。
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