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大川直也のこと1

『自己紹介』
文:大川直也

26年間生きてきた。生まれてから20年までの間に与えられた自己紹介の機会を、すねる、すかす、きれる、嘘をつく、ニヤつく、泣く、もしくは沈黙という意味不明の方法をもって強行突破を試み、その場に居合わせた誰もが望んでいない空気をつくり上げ、思い切り振りかぶったうえで力いっぱい第一印象というものを地べたに叩き付けてきた。野球用語で言うと暴投。不本意な結果だった。

小学校何年かの春、クラス替えがあった。机と椅子を教室の後方に追いやってできたスペースに輪を描いて座り、出席番号順に自己紹介をしていくという宴席が設けられた。先生の粋な計らいに、クラスメイトたちはむっつりとした笑顔で応えた。春の陽だまり、新しい仲間たちと過ごすめくるめく日々への予感に教室は甘美な空気で満たされていた。大川は3番目。早々に順番が回ってくる。緊張はしていなかった。いつものように思い切り振りかぶり全力で自己紹介を投げつける。第一印象が東のさわやかな風に乗り舞い上がっていく映像が頭を支配した。真向かいに座った女の子が泣き出した。悲劇だった。

風吹けば桶屋が儲かる。自分がしたことが思いもよらない場所に影響を及ぼすことは、大いにある。しかし大川直也の自己紹介の風がなにをどう巡って少女を泣かせるに至ったか、低学年の僕には理解することができなかった。

理解できないままいくらかの年月が過ぎて21歳、僕はグラフィックデザイナーとして独立した。営業にも自分で出て行くしか無い、これが出来なければ廃業が待っている、デザインをすることもできなくなる。5年経ち、得意かどうかはおいて、営業活動は仕事の楽しみのひとつになった。大きな会社に電話をかける。巨大なビルの前に立つ。大きなものをつくっている未知の人物との邂逅に胸が躍る。10分前までなにひとつ接点の無かった人と会話が弾む。楽しい。名刺交換も、自己紹介も、端目にはそれなりにやっているように見えるだろう。業績もそれなりのものをあげた。それでも僕は、あの少年時代に僕が吹かせた風の行方を、今もわからずにいる。

なにかひとつのところに留まってものをつくると、たちまち閉塞感と停滞感に浸食される。漂流をしなければ。それなりの業績なんてものは、あんまり意味を持たなくなる。そんな理由か、タイミングか、TORCHESを発案するに至った。どんなものができるだろうか。僕らの起こすささやかな風が、誰かの情熱の炎をゆらめかせることができればと思っている。




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