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プライドの中身

プライドはどこ

から来るの?


基本的に人は、誰しもが少なからずプライドを持っていると思います。
この裏には「一貫した姿勢」という心理が働いていて、それ自体は
決して悪い事ではありません。

しかし、時にこれが自身の発言内容や行動理由に
「自分の意思決定に嘘をつきたくない」という
”心理的変化を嫌う”行動姿勢を生み、それがどうしても曲げられ
なかった時に「プライド」として自身の成長を邪魔する事があります。


捨てたモノを拾う


ボクが学生時代に読んだ「詩集」の中には今でも大切にしている
フレーズがいくつかありまして、その中の1つに
『捨てたモノは惜しげもなく拾う』
という名言があります。

この言葉の根底には
「人の判断は時に過ちを犯す事があるから、
それを自分で素直に認められる人が成長するんだよ」
という意味が込められているのだと思いますが
当時の若かりし日のボクには、ただただショックで
「そんな事できるヤツはいない!」っと断言できるほど
尖っているヤツでした。

当時はまだ平成初期の時代で、バブルが弾けたすぐの頃でしたから
その時代に”ゴミ箱に捨てた物を拾う”というのはかなり
不可解な行動だったんです。
#大量生産大量消費の時代と若さのコラボ
#特に心のゴミ箱に捨てたモノは中々拾えない

しかしある日、郵便受けに入っていた大切な書類を知らずに
捨てていた事があって「あ、この前捨てたアレか!」っと
気付いた時に生まれて初めて”真剣にゴミ箱を漁る”という
行動を起こさざるを得ない状況に陥りました。

この時、ボクは先の詩集を読んだすぐ後でしたので
自身の体験とリンクして「なるほどな~」っとすぐ
行動に移す事ができたのを今でも覚えていますが
もしあの時あの詩集を読んでいなければ、それが
例えどれだけ大切な書類であっても
「まぁ、捨ててしまったモノは仕方ないよ」
っと行動の一貫性を貫いていたと思います。


行動の一貫性を貫く


この「一貫性を貫く」といった行為は一見”初志貫徹”の
イメージがあって大変カッコ良く見えます。
#モノだけじゃなく人間関係も同じ

逆に
「始めたモノを辞める」や「辞めたモノを再開する」
といった真逆の行為は
”芯の無い根無し草”のようなイメージを持たれ
”カッコ悪い”=”信用できない”という風に見えがちです。

ただ、本当に価値のあるモノというのは捨てて初めて
気づく事も珍しくありません。”初志貫徹”を貫いた挙句
自分の周りから”価値のあるモノがなくなりました”
となっていては本末転倒ですので、自分が
「過去に捨てたけど、本当は価値のあるモノ」
は迷わず拾いにいく事をお勧めします。

「見栄え」よりも常に「価値のあるモノを選択する」
事で人生をより豊かにしましょう。という内容でした。

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