自白

  自殺を考えたのは10歳の頃。クラスのいじめと仕事に追い込まれていく家族に耐えきれなくなったから。実際はそれほど大したことなかったのかもしれない。私の思い違いかもしれない。しかし、幼い私は「自分のせい」であることを疑わなかった。
「自分が消えたら、家族が、クラスの子達が喜ぶんだ」と思った。毎日鏡で自分の姿を見る度にそう思っては涙を溢していたのだ。本当は死にたくなんかないくせに。
それでも迷惑はかけたくなくて、飛び降りようとした。そして、当たり前だが止められた。
泣きながら止める親に「あ、迷惑をかけちゃいけないな」となんとなく察した。
  それから、親の前では死を仄めかすのをやめた。我慢して学校にも行った。布団の中で1人で泣いて、明日が来ないことを願った。明日が来なければ苦しまなくて済むのに、と。
  それでも自分の存在が嫌で嫌で仕方なかったので、こっそり首を絞めてみた。低い自尊心は、死の呪いへ。毎日死にたいと私の心身を蝕んでゆく。それを隠すのに必死だった日々は過ぎた。
  中学に上がって、苦しいことに加えて嬉しいことも増えた。嬉しいことは一層苦しさを引き立てる。
「私のような落ちぶれがこんなにいい思いをしていいものか。」と。
  部活で「成長したね」と言われた時も、クラス合唱でソロを褒められた時もわからなかった。「私の実力不足をなぜ褒めるのだろう。機嫌を取るためなのだろうか」
結局、喜びという感情では私の中に芽生えた不信感は拭えなかった。
  そうして何も変わることなく進学した。高校に行ってもいじめられたおかげで、死ぬ理由は私の中で確信に変わった。
「こんなに嫌われているんだもの、生きていることが無駄なんだ」と。
  高校生にもなれば知識がつく。時代のおかげで探せば自殺の方法なんていくらでも出てくるわけで。親が家を留守にしている間に首を吊ったり、刃物を腹部に当てたり、洗剤を口にしたりした。もちろんバレないように装って。バレたら叱られてしまう。またダメな子になってしまう。常に自責と恐怖が隣り合わせで座っている。自殺欲求はこちらに手を招いていた。そんな日々もきっと終わるとどこかで信じていた。
  現実問題、癖を直すことはそう上手くいくものではない。いかなかったのである。
  友人にも先生にも恵まれた。恵まれすぎた。
やはり惨めになった。最初は「絶対に迷惑をかけない」と決めて抱え込んだ。それがいいと知っていたから。だが、それは見事に決壊した。仲の良い友人を中心に我慢がならなくなってきて自白した。周りからは「相談できる場所を見つけた方がいい」とアドバイスをもらい現在に至る。それでも死にたい思いは消えず、引き止める理由の一つも見つからず、生きているのでした。
  今日も死にたいと矛盾を抱えて生きてしまった。今日になっても死にたい理由はわからなかった。それでもいいやと思う。はぁ、早く死にたいな。

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