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3月15日 大塚康生追悼

 この日、池袋で東京アニメアワードフェスティバル2021が開催されていたのだが、そのステージ上で、鈴木敏夫プロデューサーが大塚康生さんの訃報を報告した。3月15日の朝の出来事だったようだ。

大塚康生 OIP

 大塚康生さんの名前を知っている人は多いだろう。日本で最初に制作されたアニメ映画『白蛇伝』(1958年)の原画スタッフとして参加し、以降、多くの作品に参加した。『太陽の王子 ホルスの大冒険』『ルパン三世』『未来少年コナン』……。宮崎駿さんや近藤善文さんといったアニメーターを育てた人でもある。私たちだけではなく、私たちの親も大塚康生さんの描いたアニメーションを観て育った。日本アニメ史の黎明期から現在に至るまで、全てを知っている「生きる伝説」であった。

 ところで、実は私は大塚康生さんには会ったことがある。
 会ったというか、私はとある専門学校に通っていて、その特別講師としてやってきたのが大塚康生さんだった。

 その時の思い出といえば……大塚さんがずっと「五右衛門」と「次元」を取り違えていたこと。ホワイトボードに五右衛門のキャラクターを描いて、「次元はこうやって描くんだよ」と説明するわけだが……。……先生、それは五右衛門です!! とは誰も言えず。この空気、わかっていただけるだろうか?
 あれだけ『ルパン』シリーズに関わっていた人でも、そんな初歩的な取り違えをするんだ……とその時は思った。

 大塚先生の授業では、他に貞本義行さんが新人時代に描いたアニメーションも見せてくれた。実は貞本義行さんも大塚先生の動画塾の生徒だった。(※)
 貞本義行さんはその時からやっぱり天才で、現場経験がないとは思えないほどの凄腕だった。大塚先生も「周りが見ているから、現場経験あるって言っておけ」と忠告したくらいだった。あんなとんでもない実力の絵描きが素人なんて言ったら、周りにいる生徒全員がやる気なくすからだ。
 でも教室の中に天才が一人現れると、生徒の全体レベルが一気に上がる。よくスポーツ漫画で、天才が一人入ってきただけで部活内のレベルがいきなり全国大会レベルになった……みたいな描かれ方をするけど、あれは本当。天才が一人現れると、周りに与える影響は大きいんだ。というわけで、貞本さんがいた教室は、周りのレベルもめちゃくちゃに上がっていったのだとか。

※ この時、ガイナックス設立にあたり、スタッフ達はそれぞれで現場を経験しよう……とあちこち潜り込みに行っていたそうだ。同じ時、庵野秀明さんはどうしていたかというと、有名な話だが『風の谷のナウシカ』を制作中の宮崎駿監督のところに突撃していた。

 あとは私が描いているゴリラの絵を見て、笑顔で「うん!」と頷いてくれたことかな。それだけだったけど、嬉しかったよ。
 ……私は絵描きとしては芽が出なかったけれどもね。

 偉大なアニメーターがこの世を去り、いよいよアニメが「歴史」になっていく。過去になっていく。歴史になっていくなら、伝えていくことも考えていかねばならない。「消えるに任せばいい」ではいけない。大塚康生さんの訃報に、そんなことを思った。


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