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10年越しのポスト印象派

美術館には時々行く程度なので、みてきた展覧会もそう多くはないのですが。

楽しかったなと、今でも思い出すのは国立新美術館でのオルセー美術館展2010。

その名の通りオルセー美術館所蔵の作品が日本にやって来た、という展覧会なのですが、、そうです。2010年の開催。今からちょうど10年前。10年て。まじで。。いやでも絵画なんて、それこそ有名作は何百年という時を経て目の前にあるのだから、それを考えると10年なんてねぇ、うん。そりゃあっという間ですよ。ね。まぁそれで、話をオルセー美術館展に戻すと。

なんで楽しかったのかなぁと回想すると、理由は2つで、1つは有名作が多かったこと。もう1つはこの展覧会のテーマが、色々と考えるきっかけをくれた事。


記憶をたどると、素人目にもけっこう豪華なラインナップでした。

ルソー、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、スーラ。ぱっと思い出すだけでも、教科書でお馴染みの有名作品がずらり。そしてやっぱり本物はすごい。心にぐぁーっと押し寄せる何かがある。

いや何かって何だよって感じですが。いまいち言葉にできない。ルソーの展示は迫力があったとか、ゴッホの描く星空は絵本みたいに幻想的だったとか、ボナールの色づかいはなんだかかわいい、だとか。そんな断片的な感想は思い出せても、それとは少し違う何か。は、まさか、画家がキャンバスに込めた熱量が、時を経て熟成され、ついにパワースポットへと進化を遂げたのだろうか。

まぁそんな感じで、とにかく印刷物でみるそれらとは全然違っていて、教科書に載るという事はそれだけ感動した人がいるんだよなぁと、妙に納得したのを覚えています。


さてそんな作品たち、「ポスト印象派」という名のもとに展示されていました。

会場に入る前、「印象派といえばモネの睡蓮、その後の時代…?ピカソ…?」と薄い知識でぼんやり考ていたのですが、結局どちらもなかった。正確にいうと、モネは他の作品が序盤にいくつか展示されていたけど、ピカソは1枚もなかった。ポスト印象派には該当しないのだろうか。時代的には、そう違ってはいないようだけど。事情があったのか、意図的なのか。

実は正直なところ見終わった後も、ポスト印象派というものが結局どこからなのか、どんな様式なのか、恥ずかしながらよく分かりませんでした。

でもモネに続く、その先へと歩みを進めるごとに、額縁の中にどんどん新しい表現が現れて、それがすごく楽しかった。

例えば、パズルのように緻密なスーラの点描。ゴーギャンやルソーが描く、肌の黒い女性を中心としたエスニックな光景。セザンヌの、複数の視点で構成された静物画、これ最初気付かなかった。ドニの描く風景は版画のように平面的で、漫画みたいに輪郭線がはっきりしている。ヴュイヤールはなぜ、布団にくるまって普通に寝てる人を描くのだろう、しかも2点ある、好き。ボナールの、最初から縁取りを描いた作品もあった、逆に額縁迷うだろな。

描き方も、視点も、対象も、どんどん自由になっていく。そうしているうちに、なんだか大きな転換点をみているような気持ちになる。

世界史にも美術史にも詳しくないので、完全に感想と憶測なのですが。

それこそ美術史は紀元前から始まるもので、脈々と続く歴史がある。でも、教科書でよくみるそれらと、現代アートと呼ばれるものには、大きな隔たりがあるような気がしてならない。

伝統的な美術といえば、宗教や神話、皇帝、貴族、歴史の一場面が描かれたもの。荘厳で優雅でなんとなく似ていて、その時代の権威や情勢を色濃く反映している。逆に現代へ近づくにつれ、パッとみて何を描いているのか分からない事が多い。と思ったら見慣れたイラストのような作品もある。内面的で、難解で、親しみやすくて、要するに多様。

それはピカソから分かれるものだと思っていた。大天才が新たな分野を開発し、現代へ至るのだと。

でもどうやらその前後は、ぱっきりと色分けされるものではないらしい。

展覧会に並ぶこれらの作品は、ちょうどそのグラデーションのように思えたのです。

伝統の様式を保ちつつも、少しずつ縛りがなくなり、自ら模索しているような。宗教のためでも、記録のためでも、権威のためでもない、それこそ今私たちがアートと呼ぶものの源流がそこにあるような。


10年越しに書いたこの感想が、正しいものかは分かりません。なにか間違っていたらすみません。でも当時うまく話せなかった感想を、やっと今書き出せたように思います。

ここまで書いて少し調べてみたところ、ポスト印象派というのは特定の様式を示すわけではなく、1880年代後半から1900年にかけての、印象派の流れを汲む作家の総称らしいです。

表現が多岐にわたりすぎ、一括りになったのでしょうか。模索の先にある、それぞれの答え。そんな多様さとそれを承認する空気が、私は心地よかったのかもしれません。

今、私たちも過渡期にいると思います。生活も仕事も趣味も、これまで通りにはいかないことが増えました。これからも、緩やかになったり、厳しくなったりするのでしょう。どうしたらいいのか。それぞれが模索し、その結果生じた多様性を承認する。私もそうありたい。

そういえば、印象派の代名詞のようなモネの睡蓮。長年描き続けたモチーフで、最後の作品は1917年から19年頃に描かれたもののようです。ポスト印象派と呼ばれる時代が、終わりを迎えた頃でしょうか。

変わらないっていうのも、ひとつの答えかもしれません。



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