【時間制限家族】1話(見過ごしていた過去)

これは僕の【希望】の話だ。



ある静かな真夜中。布の擦れる音ですら騒音とも聞こえる程に静かな静かな真夜中。
僕は仕事の疲れなのか可愛い可愛い我が子との有意義な楽しい時間からの満足感なのか、深い眠りについていた。


それでもわかる位目の前が明るくチカチカと表現するのがベストな症状が突如あらわれ起きた。
突如あらわれたチカチカによってあまり視界がよくない。目を凝らして周りを見渡してみても何も感じない。





でも僕の部屋は確実に真っ暗な部屋ではなく明るい部屋に変化させられている。
どういうことだ?
たまに愛娘のナナが夜中に「パパと寝る。」と、言って僕の部屋に潜り込んでくる。でもいくら目を凝らしてもあの可愛い顔をしたナナは部屋にはいない。


そもそも最近、嫁のヨシコに就寝時のパパの部屋への侵入は禁止されている。理由はわからなかったが「そんな事ばかりしていたら布団捨てちゃうよ!」と言われているらしい。それでも果敢に僕の部屋に潜り込んでくるナナを愛らしいと感じながらもこの子が叱られちゃうんだよなー。と、思いナナが僕の腕でスヤスヤ眠りについたのちに娘の部屋にソッと連れて行くのが僕の日課だ。


でも、やはりその可愛い可愛いナナは部屋のどこにもいない。
つい独り言で「どういうことだ?」と発してしまった。


そうしたら、静かなか真夜中ですらうっすらとしか聞こえない声が聞こえてきた。


「ねぇ、起きてる?」


確かにそう聞こえた。誰かはわかった。
当たり前だ。

「聞こえるよ。」


と、答え。気付かなかったが腕一本しか入らない位ドアは空いていた。
腕だけ伸ばして明かりをつけたのだろう。
そこには珍しく少し元気のないヨシコが立っていた。


「話があるんだ。」


そう言ったヨシコの顔はやはり元気はない。
ひとまず部屋に入るよう促し、座るよう伝えたが座らないヨシコ。
そのままドアの所に立っている。


少しの時間だったとは思うが静けさもあってか体感としては長い沈黙となった。


話がある。
と、言い出したのは僕ではないから待つ事にした。何かを言いたいがなかなか言い出せないヨシコ。それはわかっていたが僕からは話しかけなかった。話したい内容も見当がつかなかったし真夜中ということもあってとにかく眠い。


「あのさぁ、、、言いにくいんだけど、、、」




「離婚したいんだ。」




そう。
多分ここからだ。
遅いのはわかってるが全てを【後悔】したのは。






僕は俗に言う普通の社会人。家族は嫁のヨシコと娘ナナの三人暮らし。朝は家族が起きる前に出勤して夜帰宅。家事と言えば夕食後の食器洗いと休日の娘との食事を作るくらい。
育児といえば帰宅後に一緒に風呂に入るのと、寝かしつけくらい。とはいえ娘が安眠できるようにあの手この手をつかい楽しませたいし、休日は朝起きてから夜寝るまでマンツーマンで遊ぶ。


僕たちは恋愛結婚だった。
知人の知り合いの紹介で出会い、その日にお互い好印象を得た。
そこから親密な仲になるのには時間はかからなかった。
その頃の僕といえばあまり外出もせず、家でのんびりしてるのが好きな独身で、たまにのデートも居酒屋ばかり、付き合ってる時に行った旅行も大阪に一度きり。しかもあまりの人の多さにイラついてしまい、八つ当たりをして泣かせてしまったら。
そんな平凡以下の僕と一緒にいても、何一つ文句も言わず一緒にいてくれたのがヨシコだった。
自然と結婚するんだなぁと考え始め、自然と入籍までいった。


そして、ナナを身籠ったヨシコ。
お腹にいる事に気付かず新婚旅行を設定し、いざ新婚旅行だ。と、いう前に発覚したがせっかく二人で考えた旅行なので妊娠発覚しても強行突破した。
この時はまだ会話はあった。確実に。
お互いに行きたい所を言い合い、せっかくなら豪華にしようと、国内ではあるが普段休みをあまりとれない分長めの旅行にした。
珍しく色々な事をした。身籠っているのでアクティブな事は中止にしたが、付き合ってる期間の思い出を上回る量の思い出をその一回の旅行で手に入れた。
逆を返せば、それだけヨシコに何もしなかったという事。


出産の時
予定日を過ぎてもなかなかヨシコのお腹からでてきてくれない娘。医者にはこれ以上は危険なんで入院して出産を迎えましょう。と、言われ、「ヨシコに何かあったら大変なんでなんとかしてください。」と言った。気はする。
その時はヨシコが心配で仕方なかった。
ただでさえ1人では何もできないこの子が不安を抱えながら入院をするなんて耐えられるのだろうか。


緊急帝王切開になった時も、
毎日病院には行った。不安そうな嫁の顔をみて、励ました。
その日も病院の決められた時間いっぱいまで病室にいて、1人で帰宅。
どうしたらヨシコを元気にしてあげるのか。色々心配はあったが、ヨシコを元気づけたかった。
「おやすみ」のメールもちゃんとした。


その日の夜中に突然病室にいるはずのヨシコから電話がきて、か細い声で「ナナが危ないから急遽帝王切開になった。今から病院にきて。」と。


タクシーに乗った。
確かに乗った。タクシーが乗れる所まで結構な距離があったはずなのにその間の記憶がない。1つもない。ある記憶はタクシーの運転手に病院の名前を伝えてから。まともにしゃべれてはいなかった。


それだけ必死だった。お腹の子供、そしてヨシコ。心配で堪らなかった。


病室について帝王切開を承諾のサインをして少しの時間会う事ができた。不安で泣いている姿、いつもより小さく見えたヨシコ。
「大丈夫だ、大丈夫だから。」としか言えない自分を情けなく思いながらこの人を一生守ろうと決めた。それはしっかり覚えてる。


1人になり、手術室の前にある椅子に座ったり立ったり。明らかに落ち着きはない。
大丈夫なんだろうか。大丈夫なんだろうか。と頭で
何度も声を出していた。


時間にしてどれくらいたったかなどわからない。ただひたすら待った。言うならば何時かもわからないし、気にならなかった。
とにかく心配しかなかった。




そして、わかりやすく「オギャー」と聞こえた。
テレビで聞いたことあるわかりやすさでナナは誕生した。


それでも混乱している僕は、うちの子か?どうなんだ?で、頭がいっぱい。
その時分娩室に入っているのはヨシコだけなのでうちの子に決まっているのに。
最初の「オギャー」から何度となく聞こえる「オギャー」
でも誰もでてこないし何も言ってくれない。


しばらくして看護師さんがピンクの帽子を被った、この世で一番可愛い生物を抱き抱えて連れてきてくれた。


なんて可愛いんだろうか。
なんて表現したらいいのだろうか。
こんなに可愛い生物がいたのか。と。


やはり男。
ヨシコのお腹にいる時から父親のつもりではいたが、初めてナナを抱っこした時、父親になった。
男なんてこんなもんなのだろうか。
それでも、この子を一生守ろうと決めた。


スクスク成長するナナ。
可愛いくて堪らない。仕事も早く帰ってきたいし、なんなら行きたくない。さすがにそれでは生活できないので渋々行くが、早く帰ってナナに会うのが楽しみで仕方なかった。それは今でも変わらない。
そう、産まれてから今の今まで変わらない。


毎週末は朝起きてからナナが起きるまでに朝ごはんを作った。普段あまり料理はしないが、前の日からナナが何を食べたいか考えるのも楽しい。


ヨシコは自分が食べたい物を食べたいからなのか僕が作ったものを食べなかった。
まぁ、自分で決めたのならいいかと、自然とナナと僕の分しか作らなくなった。


ご飯を食べたらすぐさま外へ出掛けた。
なんといってもナナは外で走るのが大好き。
ナナは7ヶ月でヨチヨチ歩きを始めたくらいだ。あの時はヨシコと一緒に喜びと驚きで歓喜したのは今でも覚えてる。
とにかく外で遊ぶのが大好きなナナと共に遊ぶのは何にも変えられない僕の幸せな時間だ。
あの家からでなかった独身時代では考えられないが毎週外にでた。


毎日遊びたい。
たくさんいた友達とも遊びにいく事はやめた。少ないであろう我が子の幼少期を共にいたいと。
仕事終わりに一杯ひっかけて帰るなんてもったいない。早く帰ってナナに会いたかった。
毎日会っているのに毎日早く会いたかった。
マイナスが貴重な時間。
この子の為に僕の時間を使おう。


愛娘のナナに全てをそそいだ。


「親バカだ」


「子離れできない」


と、周りには言われるが


「親バカだからいいんだ」


「その時がきたらできる」


わかりやすい親バカっぷりを発揮して周りの話なんて入ってこなかった。


案の定、ヨシコとな会話は減ってきた。


もしかしたらヨシコは僕に話かけていたのかもしれない。
何かアクションをだしてコミュニケーションをはかってくれていたかもしれない。もはや今さら聞く事もできないし、ヨシコもあの時と気持ちが違うだろうから。
もししていてくれていてもその時の僕は気づいてはいなかった。


ナナの入園、運動会だけは行った。
何があっても行きたかったし、ナナだけパパがいないという寂しい思いをさせたくはなかった。
本当は他のイベントも行きたかったが全部は休めない。
なので他のイベントはヨシコに任せた。僕のその時の気持ちは「僕は行けないけどヨシコは行けていいなぁ。」だった。
ヨシコは僕に何も言わない。
から、何も感じず何も考えないダメな僕がいた。


ナナとの幸せな日々の中で、
ヨシコとの暗黙のルールが少しずつ減ってきた。正確には減らし、減らされた。
決して自然にではない。お互いが決めた。


ヨシコとのおやすみなさいのキスはなくした。そのかわりナナの頭にキスをするようになった。
僕からやめたつもりではあるがこれに関しては同意の廃止だと思っている。
いつのまにか歯ブラシを置くところも別々になった。帰宅時の「今から帰るよ」もやめた。
だいたい帰る時間がわかるんだから別にしなくていいかと。
「ただいま」を言うのもやめた。一度「ただいま」と言った時に何も返事をもらえなかったからだ。
何も言われないのならば言う必要はないなと。
ただ、ナナには全力の「ただいま」をした。


僕にしては珍しく反論したのは寝室を分ける話。
僕が風邪を引いてしまい、ナナに移ったらまずいと思い別部屋にした。ナナの寝息や寝顔を見れないのは辛かったが、ナナが風邪を引いてしまうなんてかわいそうすぎるから。


早く治したいな。ナナと遊びたいなぁと自分を奮い立たせて高熱と戦った。
なんとか完治した時に布団を戻そうとした時、ヨシコから「別々のほうがお互い楽だからこのままでいよう。」と、告げられた。
当たり前のように反論した。
僕の今の幸せはナナとの時間だ!
苦痛でしかない。と。
ヨシコは最初は「別々のほうが、、、」と言ってはいたが、珍しく反論する僕をなだめる為にシフトチェンジをし始めた。
「朝あなたの目覚ましでナナが起きたらかわいそうだから。」
ナナの名前をだせば僕がひくと思ったのだろう。そう、わかりやすく僕はひいた。ナナにとってマイナスの事はしたくない。
苦渋の決断ではあったが、この話を受け入れた。
まんまとヨシコの作戦は成功。
でも僕は気付きもしなかったんだ。気付くわけがない。ナナとの事しか考えてない僕には。


なぜヨシコが一緒に寝たくないのだろうか?
なんて考えもしなかったから。
頭にすらよぎってないのだから。


少し違和感を感じたがある日突然ヨシコがアルバイトをすると言い出した。


それは1年前だ。


それと同時に車を購入した。僕はなぜ働くのか?なぜ車を買ったのか?なぜ何も言わず、バレないようにこっそりと事を進めていたのか。
ではなく、僕に相談しなかった事についてだけ少し小言を言った。
だけどそれ以上は言わない。どうせ何を言っても決めてしまった事を変える人ではないし、買ってしまったものは返せない。
仕方ないんだから、つっこまない。
関わっても時間と思考の無駄だと。


「これから色々お金かかるから、私も働く。働く場所は居酒屋に決めたから。あと、私忙しくなるから自分の洗濯物は自分でやって。」


と、だけ言われた。


僕は正直どうでもよかった。働く事も車を買った事も。
それよりも夜ヨシコがいない事によるナナの事を心配した。
母親が毎日ではないにしろ夜いないというのは寂しいのではないか。甘えたい時に母親に甘えられないのは辛いのではないか。
僕はナナの事しか考えていなかった。
家事をしながら働くヨシコの事を「自分で勝手に決めたんだから。」と、労うこともせず応援することもせず。


奇妙な3-2-1-2-3-2-3の生活が始まった。


朝は三人が家にいて、僕が出勤して二人。そのあとナナが登園してヨシコが一人。ナナが帰ってきて二人。僕が帰ってきて三人。ヨシコが仕事行って帰ってくるから、二人。三人。


よく見ると複雑な生活が始まった。
最初はさすがに不安だった。ナナが「ママに会いたい」と寂しくなってしまったらどうしようか。その時きっと僕ではダメだろうと。
その寂しい気持ちすら隠してしまってもかわいそうだと。


ナナがそうならない為にも今まで以上にナナとの時間を大切にした。
ナナに対して時間に厳しいヨシコ。なのでたまに少しだけ寝る時間を遅らせて遊んだり。
僕とナナだけの秘密を作ってみたり。たとえばヨシコの事を二人だけの時は「よっさん」とあだ名をつけた。
お菓子もひっそり買っておいた。
二人で色んな話もしたし、ナナの話は全部真剣に聞いた。
とにかくナナの為の時間を大切にした。


そんな生活を一年した。


そう。


【そんな生活を一年した。】


と、簡単に言うには2つの理由がある。
1人はそれだけヨシコとはからまなかった。
ナナのイベントは一緒に行くが、それ以外はナナと二人。休みの日もナナと公園デートを繰り返した。僕なりのヨシコへの意見は「普段家事や育児に仕事までやってんだから休みの日はゆっくりしたいだろう。」だったので、とにかくナナと一緒にいた。


今思えばヨシコとの会話の記憶がほぼない。


もう一つは。
ナナが寂しがらないでいてくれたから。
よく考えればヨシコはナナが帰宅し僕が帰宅するまではナナといる。毎日ヨシコは仕事行くわけでもない。ナナを僕なりに一年見ていて隠しているとは思わなかった。ナナが産まれてから毎日ナナの事を思って生きている父親だ。それくらいはわかる。
なんなら、「今日も遊ぼう」や「お菓子買ってくれた?」「パパのお布団は落ち着くの」というセリフがでてきた。


なんなら、ナナから「今日ママ仕事?」とよく聞かれる。「そうだよ。」と答えると「よっしゃー。」とナナ。
もう僕もナナと二人のほうが気が楽にはなっていた。ヨシコが休みの日は少し変な空気が流れるのでいつもより早くナナと寝室に行く。


僕はヨシコとナナの部屋でナナと遊んでから寝かしつけをする。
ナナが完全に寝てもすぐには部屋をでず、寝るギリギリまで、同じ部屋にいて、ヨシコが帰ってきたら自分の部屋に戻るようにしている。寝ている間にナナになにかあったら大変なので。


なのでナナはヨシコと毎日寝ている。
が、夜中に起きると僕の部屋に忍びこんで僕を起こす。「パパと寝たい」というナナを抱きしめ二人で寝る。


寝室を分けた意味がこの一年はなくなっているが、
わざわざ三人部屋にしたいともう一度ヨシコに言うのも結果が見えてるので言わず、この生活をした。


僕がいる所では聞いたことはないが「パパの部屋に行くのなら布団捨てるよ」と、ナナは言われている。それでも果敢に僕の部屋にくるナナも気合いが入ってるとしか言えない。


この、
「パパの部屋に行くのなら布団捨てるよ」発言は面倒くさがりな僕でもヨシコに言おうとはした。ナナがかわいそうだと。ナナなりに夜ママがいないのを我慢してるんだ。いちいち行動に罰を与えるんじゃない!って。
でも、僕が言ったら嫌みに聞こえるかと思い言わなかった。


いや、
やっぱり面倒くさかっただけだと思う。自分なりに理由を作ってはみたが結局は面倒くさいんだ、ヨシコに話しかけるのが。


ヨシコと話をする事自体が。


この頃はもう夫婦というより同居人になっていた。
ナナを育てるという同じ目的をもった同居人。わざわざ頭の中で【同居人】というキーワードはよぎってはいなかったが、感覚としては間違ってないだろう。


こんなすれ違いの生活でも僕は満たされていた。スクスク育ってくれる愛娘のナナ。ヨシコとはすれ違いばかりだがこれといってほとんど喧嘩しない生活に。


このままナナは成長し、それを一番近くで見守る。ナナの為なら仕事も頑張るし、ナナの為ならなんでもしてあげたい。
そういう生活をして、ナナが巣だったら適当に生きるかー。あっ、孫も楽しみだなー。


僕の頭の中にヨシコはいなかったんだ。




「離婚したいんだ」



あぁ。
やっぱりここからだ。
僕が後悔を始めたのは。

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