宗教二世・それでも神が欲しかった・カミ傷とかさぶたの遍歴 その1 脱創価学会・トラウマを抱えて

8歳の時に父が他界した。当時美容師だった母は一家の大黒柱で、私は父に育てられた。母乳の全く出ない母の代わりに、父はどこからかヤギ乳を手に入れ、私を育ててくれた。某健康法の熱心な実践者だった父の厳命で、白砂糖は絶対のタブーだった。父の死後、我が家は白砂糖・お菓子が自由に食べられるようになった。アイスクリーム1つでげんこつを食らった兄。不味いものを食べて長生きするのと、うまいものをたべて早死にするのと、どっちがいいもんだろう、とこぼしていた母も、みんな 普通 になったことにほっとしていた。

でもやはり 普通 ではなかった。(普通というものがいったい何で、どこにあるのか、本当はわからないけれど)その年、母は心細かったのだろう、創価学会に入信した。私は8歳。兄は12歳、弟は7歳の年、子たちは何もわからないまま、家族全員が入信させられた。

それからは信仰生活が始まった。母は熱心な信仰者となった。これは今の話ではなく、ずっと以前のこと。昔の学会は、今の創価学会とは違った。扇動的で過激で、ひたすら献金と折伏(当時はかなり攻撃的な勧誘行為)。後年それに選挙運動(公明党)も加わって集会に明け暮れた。

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