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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(9)

 翌朝、コーヒーから静かに立ち昇る湯気を眺めながら、寝起きのぼんやりとした頭で考える。クロサワタツキチ――どんな男なのだろう? 漢字で書くと黒澤達吉、辰吉、竜吉、龍吉?
 今日の方針を組み立てる。まずはSNSの検索から始める。実名登録が基本のFacebookにアカウントが見つかると嬉しい。多くの情報が取得できるはずだから。もしネット検索で何も見つからなかったら……。そのときは、そこまでだ。ネットでの調査以外に僕ができることはないのだから。
 朝食を摂るため、一階に降りると母が声をかけてきた。
「【まさみ】ちゃんのお母さんから電話があったわよ。調査はどうかって。ロシアのこと聞いて不安になってるみたいね。話を聞きたがってたから、電話してあげなさい」
「もう少し調べたら連絡するよ」
 僕は抑揚のない口調でそう答えた。
 厚かましい人だ。僕は探偵業をやっているわけではない。善意で調べてあげているだけじゃないか。あれこれ要求しないでほしい。
 二階に上がり、本日の調査を開始する。
 まずはFacebookを開き、検索。漢字、カナ、英字といくつかのパターンを試すが、これといった収穫はなし。続いて通常のネット検索。『クロサワタツキチ』の検索には若干のサイトがヒットした。
「へー、黒澤辰吉さんって税理士さんがいるのね」
 もしかしたらこの人だろうか? 黒澤税理士事務所の所在位置は?
事務所のウェブサイトに遷移する。古めかしいデザインのページが表示された。下方にスクロールすると黒澤辰吉氏の顔写真が掲載されていた。
「おじいちゃんだね」と独り言。いい人そうだ。
 事務所の住所は鹿児島県鹿児島市。
 このおじいちゃんが、二十歳の女の子を連れて毎夜、銀座や六本木で食事。さらには二人で仲睦まじくモスクワ旅行。お年寄りに偏見を持つわけではないけれど。そりゃないだろう。いやいや待て。そんなに簡単にこの情報を切り捨てていいのだろうか。例えば黒澤辰吉氏は、【渡瀬】家の親類だったりして。だとしたら東京にいることをどう説明する? それに親戚だったら、母親が事情を何も知らないというのも変な話だ。
 やはり黒澤辰吉氏は一旦、選択肢から外そう。
 再び検索結果の画面に戻る。これといった情報が見つからないまま、三ページまで進む。
 おっ、これは?
『@TATSUKICHI2002
 貿易会社を経営してまーす。独身。趣味は旅行とサッカー観戦。ヨロシク』
 Circleのアカウントだ。ちょっと覗いてみることにしよう。
 ログイン。@TATSUKICHI2002のフィードへ。
 経営者とのことだが、仕事上の書き込みはほぼない。愛車のこと――ミニクーパーのコンバーチブルタイプに乗っているらしい――、愛犬のこと、友人との飲み会のことなど、プライベートに関するものが大半。投稿の頻度もそれほど多くない。僕にとっては退屈な内容ばかりだ。ページから離脱しようかと思った矢先、ある投稿に目が釘づけになった。
 サッカースタジアムを写した画像とともに次の書き込みがなされていた。
〈ルジニキ・スタジアムなう。シーズン終盤。CSKAモスクワ優勝なるか!本田に期待。〉
 モスクワ!
 投稿の日付も【まさみ】がロシアに渡航していた期間と一致している。僕は興奮した。
 鼓動が早まる、心臓が口から飛び出してくるのではないかと心配になるほどに。
 画像を凝視する。キックオフ前の様子だろう。選手たちがフィールドでウォーミングアップをしている。客席はすでに八割ほどが埋まっており、続々と観客が入ってきている。
 ルジニキ・スタジアム――検索。
 モスクワ市内にあるサッカー用のスタジアム。CSKAモスクワのホームスタジアム。同チームには、日本人選手本田圭佑が所属しているらしい。僕はサッカーにはまったく興味がないのである。
 あれ、そういえば……。
 【まさみ】のInstagramに飛ぶ。
 あった!
スタジアムの写真が投稿されていた。構図はクロサワ氏のものと異なるが同じ場所のようだ。投稿の日付も一緒。次のようなコメントが付記されていた。
 Wider than National Stadium in Japan.(日本の国立競技場より広い。)
 再びスタジアムの検索結果へ。『座席数八万人、十万人収容可能』 確かに国立競技場より広い。
 【まさみ】はクロサワタツキチなる男性――たぶん男性――とモスクワに渡り、サッカーを観戦していた。
 
 その後、Circleの投稿をくまなく調べ、クロサワタツキチ氏について、以下のような事実をつかんだ。
 年齢は三十二歳。誕生日は八月。独身。出身は千葉県松戸市。実家には両親と弟が住んでいる。自宅は六本木ヒルズ。貿易会社を経営している。社名は不明。事業は中古自動車の輸出。輸出先はロシア。その関係からか年数回、モスクワを訪れている。起業したのは五年前。その前の経歴は不明。愛犬はプードル、名はあきら。(黒澤明にあやかった? 雌なのにね。ジェンダーフリーの時代なのでよしとしよう) 趣味はサッカー観戦で、贔屓のチームは鹿島アントラーズ。(なんで? 普通地元のチームを応援するものなのでは?)チームのアウェイ戦にあわせて日本各地を旅して回っている。とこんなところ。
 湯水のごとくお金を使って遊んでいるのが分かる。六本木に居を構えるのだって相当な収入が必要なはずだ。クロサワ氏の会社はそんなに儲かっているのだろうか。それとも資産家? 投稿のトーンは総じて軽く、軽薄な印象を受ける。
 PCの画面から視線を外す。
 【まさみ】の行動範囲から考え――Instagramに投稿されている写真の多くは六本木や赤坂、銀座などで撮影されている――、六本木の男性宅に同居していると見てよさそうだ。
 【まさみ】とこの男性との関係は? 友人? 親類? 男女の仲?
 【まさみ】との唯一の思い出が蘇る。
 公園のような場所で沈みゆく太陽を、二人手を取り合って見詰めている。彼女は泣いていた。彼女の涙。理由は何だったのだろう?

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