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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(5)

「えっとー、もしもし」
「もしもし」
「えっとー、【満】です」
「【みつる】くん、早速連絡くれたの。今回は面倒なお願いをしちゃってごめんなさいね。それで何か分かったの?」
「はい、えーと、【まさみ】さんは…、ちゃんと生きてます」
 手を叩いて大喜びするところ想像した僕は、【まさみ】の母親の反応に困惑した。
「やだ【みつる】くんたら。生きているに決まってるじゃない。あの子が死ぬわけないもの。それでどこにいるの?」
 僕はイレギュラーにめっぽう弱い。母親の予想外の反応と、【まさみ】はどこにいるのか、という質問に頭が真っ白になった。
「えっとー、Instagramに写真がいっぱい投稿されていて…」
「インスタント何?」
「Instagramです」
「インスタトグラム? それ、なにかしら?」
 Instagramとは何か、そして、そこから何が分かったのか、しどろもどろになりながら、なんとか説明する。彼女の居場所は恐らく都内、しかも二十三区内と思われるということも伝えたが、【まさみ】の母親は僕の報告に満足しなかった。彼女は、娘の正確な居場所を知りたいと言う。僕は人の依頼を上手に断る術を知らない。自分の気持ちに反し、もう少し調べてみます、と答えてしまった。
 困ったなあ。
 母に相談し、断ってもらうか。いや、きっと駄目に違いない。
 
 【まさみ】の母親への電話で、僕は激しく消耗した。エネルギーを使い果たしてしまったようで、何もする気にもなれない。今日は水曜日。『ひきこもり通信』週一の更新日なのだが、原稿を書く気力が残っていない。時刻はすでに午後六時前。いつもなら四時から五時にかけて、新しい記事を投稿している。
 今日はサボっちゃおっかな。
 『ひきこもり通信』はニート生活に突入すると同時に開設したブログサイトだ。ひきこもりと言っても、完全に家に閉じこもっているわけではなく、近所のコンビニにお昼ご飯を買いに行くし、天気のいい日は散歩に出て、近所の人に挨拶だってする。僕の生活は基本的に単調ではあるのだが、それでもブログのネタは探せば見つかるもので、例えば、たまたま見つけた野良猫の話とか、移り行く季節の話とか、近所の噂話とか。他愛のない話題ばかりだが、なぜか一万人超えのフォロワーがついている。たぶん。僕が自閉症であることをカミングアウトしているからだと思う。どうやら自閉症の人が書く文章には希少価値があるようだ。
 つなぎっぱなしにしてあったOutlookが反応した。新着メールが届いたようだ。メールを開いてみる。
 
  件名:どうかしましたか?
  To:ひきこもり太郎 様
  From:ネッ友
  今日はまだ更新がないですね。
  どうかしましたか? 心配しています。
 
 ネッ友さんはサイト開設時からずっと僕をフォローしてくれている。いつしか個人的にやり取りをするようになった。実際に会ったことはない。本人の申告によれば、年齢は僕と同じ二十歳。男性。都内の大学に通っているそうだが、大学名は内緒。古いことをよく知っているので、相当なオタクではないかと踏んでいる。
 すぐに返信する。
 
  件名:Re,どうかしましたか?
  To:ネッ友 さま
  From:ひきこもり太郎
  母親の知り合いから人探しを頼まれました。
  娘さんが失踪したそうです。
  家族も警察も親身になってくれないらしく、困っている様子です。
  その関係で昨日からバタバタしていて、少し疲れています。
 
 さらにメールが届く。
 
   件名:Re,Re,どうかしましたか?
   To:ひきこもり太郎 様
   From:ネッ友
   そうですか。
   ひきこもり太郎さんの探求心に火がつきそうですね。
   大変そうですが、頑張ってください。
   楽しみにしていましたが、今日の更新は諦めることにします。
 
 探求心に火がつく――。そうか、確かに。
 僕がこの件で億劫に感じているのは、慣れない人との会話だけだ。ネットを使ってあれこれ調べる作業はむしろ楽しかったりする。
 真実に迫りたい。
 僕のなかには常にそんな欲求が存在している。
 壁一面に備えつけた本棚を眺める。びっしりと並んだ書籍の大半はノンフィクションだ。関心ごとが見つかると、関連の本を次々と買い漁る。二酸化炭素の放出による地球の温暖化、無謀な戦争へと至る日本の近現代史、出版業界の現状と再版制度、IPS細胞と再生医療の未来。興味が向く分野には何の脈略もない。僕の関心は自由奔放だ。そんな僕がネットで人探し。面白いかもしれない。
 
  件名:Re,Re,Reどうかしましたか?
  To:ネッ友 さま
  From:ひきこもり太郎
  頑張ります。
 
 短い言葉に覚悟を込めたつもり。

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