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不世出のドラマー・ツネちゃんこと恒岡章(Hi-STANDARD)を忘れない

2023年2月14日、ハイスタのドラマー・ツネちゃんこと恒岡章さんが旅立ちました。


あれから2ヶ月以上経ってもいまだに悲しくて辛い…。そりゃだって初めてハイスタを聴いてから27年、こっちはツネちゃんのリズムとビートとともにこの世界を知覚して人格形成してるんだよ。大げさかもしれんけど、そんなの完全に自分の一部じゃん。だからとてつもなく悲しいし辛い。

そんな中、先日PIZZA OF DEATHのサイトにアップされたケンくんのコラムや、ハイスタの新曲『I'M A RAT』発売時のケンくんと難波くん連名のコメント読んで、もうそろそろ明るくツネちゃんのことを語っていいのかな、、と思えてきたんですよね。

不世出のドラマー・恒岡章を忘れない。

イチオールドファンが見てきたツネちゃんのこと、少しでも残せておけたらと思います(ただのファンの分際ですけど、ここでは愛着込めて「ツネちゃん」と書かせてもらいます)。
※ちなみにちょっと長め&下品です。

ファンキーなパンクドラマー

初めてハイスタの音源を聴いたのは96年9月発売の『THE KIDS ARE ALRIGHT』のマキシシングル。当時、中3だったんですが、小学生のころからX JAPANが好きだったので、YOSHIKIのハイスピードなドラムは聴き慣れてたんですよ。でもハイスタの曲とツネちゃんのドラムって、単にハイスピードというだけにとどまってなくて、音が跳ねててファンキーでもあり、圧倒されたまま身体ごと巻き込まれていくようなグルーヴもあって、一発で度肝抜かれたんですよね。

彼らを広く世に知らしめた1stアルバム『GROWING UP』はメロコアの名盤って捉え方されてるけど、実は『Tell me something happy news』や『Groovy Crew』『Selfish Girl』とか目まぐるしく展開が変わるファンキーな曲も多いバラエティ豊かな作品なんです。このサウンドを支えてたのは元々ブラックミュージックやファンク、ジャズなんかを愛聴していたツネちゃんの音楽的素養に依るところが大きいんじゃないかと。

NO USE FOR A NAME!!!

当時ツネちゃんはロン毛のドレッドというヘアースタイルで、見た目からしてどこか異彩な存在感を放ってました。その後、97年の北米ツアー中にハイスタメンバー3人揃って一斉に坊主になってたのはウケましたよね。仲良いなって。

それ以降ツネちゃんはずっとそのままショートヘアーで、眼鏡もかけだしてスタイリッシュでシンプルな見た目を近年まで貫いてきた感じですね。

サブタイトル酷いw

チ○コ芸でMAKING THE ROAD

でね、当時のツネちゃんって、ケンくんがコラムで書いていた通り、LIVE後の打ち上げの場では必ず裸になって盛り上げてきた、股間で闘ってきた人っていうイメージなんですよ(ちなみにこっちの分野でもツネちゃんと双璧をなすのがBRAHMANのロンヂくんw)。当時よく読んでたパンク雑誌の『EAT MAGAZINE』には、国内だけにとどまらずアメリカやヨーロッパでも対バンしたバンドのメンバーと固い絆を作りあげたおもしろエピソードがてんこ盛りでした。まさにチ○コ芸でMAKING THE ROADしていった漢・ツネちゃんw

尚、ツネちゃんの芸を端的に回想しているハイスタのボスことNOFXのFAT MIKEのコメントがこちら(お食事中の方、気持ち悪くなること必至なんで絶対に読まないで下さいw)。

●ツアーなどの思い出で、特に印象に残っていることがあれば教えてください。
○俺のお気に入りのふたつの思い出を教えてやろう。
1:ツネが、俺らにホット・ソースをかけたソーセージをひと皿作ってくれたんだけど、その中の1本のソーセージが、ツネ本人のだったこと。あれはすごく気持ち悪かったね。
2:ヨーロッパでライブをやった時、ティーン・アイドルズのヘザーがゲロを吐いて、そのゲロをまた食ってたんだけど、アキ(ツネ)はそれを見て"もらいゲロ"をしたんだ。あの頃は良かったなぁ〜。

『横山 健   ハイ・スタンダードのサウンドを支えるギタリストのすべてがわかる! ギタースコア10曲収録』より

人ってのはさ、高尚な話になればなるほど共感しづらくなっていったり、相容れなくなって分断が起こってしまうじゃん。でも地べたにより近い下ネタや下世話なことって、言葉なんか通じなくてもそれだけで万国共通でつながれてUNITEできるものなんだ。そんな人類の普遍性をまさしくツネちゃんは体現していたんだと思うんですよね。

当時のハイスタって雑誌とかアー写、こんなんでしたw

音で饒舌に語っていたツネちゃん

ハイスタってフロントの2人がメディアで積極的に言葉を発するほうなんだけど、ツネちゃんはあまり言葉で多くを語ることはしなかったですよね。というか完全に寡黙な人。でも実は、音を通じて最も饒舌に喋っていた人なんじゃないかと思ってるんです。

具体的にはハイスタ以外にも、ジャンルを超えたアーティストやバンドと積極的にコラボして、なんならTVやゲーム、映画などチャネルの境界をも越えて音楽と向き合っていた。

最初にツネちゃんがハイスタ以外で叩いているのを目撃したのはLOW IQ 01ことイッチャンのAIR JAM2000のステージ。イッチャンとはその後THE BEAT BREAKER名義で活動もしてましたし、何気に矢沢永吉トリビュート作品にケンくんとイッチャンの3人でP.M.9'ersっていうバンド組んで参加して『Rockin’ My Heart』やってましたよね(コレ超カッコいいです)。

それとやっぱりチャットモンチー。出演したFesの映像を何度も観たけど、3人だけの時はハイスタの時以上に後ろからフロントの2人をリードしていくような演奏で、キーボードが入る4人以上の構成の時はみんなと和気藹々としながら呼吸を合わせるような演奏。どっちもすごく楽しそうでした。

そして正ドラマーとして在籍していたCUBISMO GRAFICO FIVEはもちろん、磯部正文BAND、いきものがかり、あいみょん、高橋優など有名アーティストのレコーディングにも参加してたり、NINTENDO SWITCHの人気ゲームソフト『スプラトゥーン』の音楽にも参加。それからNHKの音楽番組『バナナ♪ゼロミュージック』なんかにも出演して演奏してました。

ちなみにYOUR SONG IS GOODのサポートで2022年のFUJI ROCKにも出演。全員お揃いのアロハシャツを着て無邪気に演奏してるこの時のツネちゃんを配信動画で見たのが、自分が見た最後のツネちゃんの姿でした。。

あとキュビズモの村田シゲさんと結成したインストユニット・summertimeでは、ハイスタのドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT』の劇伴を担当していました。

メディアに出て言葉を発することがなくても、こんなにも普段の我々の暮らしのそばで、ツネちゃんの音は饒舌に鳴っていたんです。

あと何気にデカいのが、2000年代のハイスタ活動休止中に、P.M.9’ersでケンくんと演奏していただけじゃなく、実は難波くんとも2人でLIVEやったりもしてること。当時の難波くんとケンくんの関係にあって、フラットにフットワーク軽く2人と接していたツネちゃんがいかにその後のハイスタ復活に向けて重要な存在だったか、ってことも言っておきたいんですよね。

Hi-STANDARDのドラマーとしての進化

そして何より驚かされるのが、年を重ねるごとに衰えるどころか、むしろHi-STANDADのドラマーとしてどんどん進化してパワーアップしていってたってことなんですよ。新曲『I’M A RAT』のファストな勢いと、ラストのドラムロールまで緩急ある展開の完璧なドラミング然り。

あとね、AIR JAM2012を映画館で見た時に、『SUNNY DAY』や『WHO’LL BE THE NEXT 』のようなハイスタ最初期からある曲が最も新しく聴こえたり、2015年の尽未来祭、2017年のTHE GIFT TOUR@さいたまスーパーアリーナ公演を観た時は、特に『Dear My Friend』が、同じ人が同じ曲やってるのにこうも違うのかって感嘆するほど進化してたように感じたんですよ。

シャープな見た目なのに、どうしてあんなに圧倒的にヘヴィでいながらも、いろんな表情を見せるような音像と深みを増し続けることができるのか。その答えなんて知る由もないんだけど、あえてひとつの仮説として、奇しくも今年1月に亡くなられたYMOの高橋幸宏さんの存在を挙げてみたい。

幸宏さんが追求していたマシンのような正確なドラミング。打ち込みに近いような異常に正確なドラミングを生身の人間がやる。それによって、究極的にその人にしか出ない味が立ち上ってくる。その幸宏さんの名前をツネちゃんが雑誌のインタビューで出していたんです。

●アルバム(『THE GIFT』)を聴いて、あらためて恒岡さんのビートは時代を超越していると感じたのですが、その理由の1つはマシンのようなループ感にあるのではないかと思いました。
○ありがとうございます。そういってもらえると嬉しいです。もともと打ち込み系の音楽……90年代からのハウス、テクノ、ヒップホップなども好きなので、そういう聴いてきたものの影響が何かしらの形で出ているのかもしれませんね。
●"マシンっぽいドラム"という言葉は、昔はあまり良い意味で捉われていなかったと思いますが、今は変わってきましたよね。
○そうですよね。唯一だと……高橋幸宏さんがYMOで築き上げたドラミング。

Rhythm&Drums magazine 2018年1月号

パンクやロックのサウンドって、歪みやノイズをむしろ取り込むことでエキサイティングに聴こえる音楽なので、それとは対照的なマシンのような正確性をツネちゃんが追求してたってすごい興味深くないですか。

進化を止めなかったツネちゃんの最後のドラムが永遠に閉じに込められてる『I'M A RAT』って、やっぱりどう考えたって奇跡的な一曲なんですよ。

最後に忘れらんない思い出

とまぁ、色々書いてきて最後になんだけど、さっきツネちゃんは言葉を発するという意味では寡黙であったということを書きましたが、自分がハイスタを見てきたなかで一度だけLIVEで言葉を発したことがあるんですね。

それは2017年のTHE GIFT TOUR@さいたまスーパーアリーナ公演。前のブログにそのこと書いてますが、ツネちゃんのドラムソロパートで、突如マイクで「皆さーん、ちょっといいですかぁ?」って語り掛けてきたんです。

そのままツネちゃんの希望で、ドラムに合わせてKIDSたち全員で『VAMOS! NIPPON』を高らかに謳うという神展開!しかも難波くんとケンくんも即興演奏で加わってフィニッシュ…。コレ、その後の3人のやりとり含めて今でもありありとその時の光景思い出せるし、ツネちゃんていう人のユニークさと人間味をまじまじと体感できたとてもとても大切な思い出。マジで忘れらんないっす。

汚い話しも含め、長々と好き放題言っちゃってごめんなさい。でもそんなことまで含めた恒岡章という人間が生み出す音、丸ごとが好きなんです。許してください。

これまで数々の素晴らしい音を届けてくれて、キラキラ輝く豊かな時間を与えてくれて本当にありがとうございました。ツネちゃんの音はこれからもずっと鳴り続ける。どうぞ安らかに。

ツネちゃん超カワイイぜ!

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