真夜中とBUCK-TICK
年に数回ほど、真夜中に一人でBUCK-TICKが聴きたくなる。
きっかけは28年前に観たミュージックステーションだった。彼らはそこで『唄』と『惡の華』の2曲を演奏していた。
5人の中央でカメラを睨みつけるように歌うVo.櫻井敦司の悪魔的に鋭い眼光と、Dr.ヤガミ・トールの帽子突き破り怒髪天ヘアーというビジュアルにまず衝撃を受けてシビレを感じた。
次にディストーションがかかったGt.今井寿の声が重なるどこか掻き乱されるような余韻を残す『唄』と、刹那的で鋭利な感覚が音に昇華されたような『惡の華』のサウンドと歌声に、完全に心撃ち抜かれてしまった。
そこでいてもたってもいられず当時リリースされたばかりのアルバム『Six/Nine』を買ってきて(確か初回限定の黄緑のクリアジャケットだった気がする)繰り返し聴いた。
当時中2だったし、それまで聴いてきた音楽のどれよりも難解でずいぶんと歯応えのある作品だったけど、子どもは見ちゃいけない大人の世界を覗き見るような背伸びした気持ちになれた。それに、
といった曲名にも象徴されるような、狂気と芸術性が抱き合わせのままこちらにぶつかってくるひとつひとつのことばや、カタカナ使いも含んだ詞の視覚的な語感も思春期のむき出しの感性に突き刺さった。こんなヤバいの聴いて受け入れてるのオレだけだろ…というちょっとした優越感を感じたりもした。
そこからベストアルバム『CATALOGUE 1987-1995』や過去作も掘り下げていくにつれて、ふとBUCK-TICKの音楽は真夜中に部屋を真っ暗にして一人で聴くのが堪らなく心地よいと気づいた。
当時、夜中に脳神経が活性化していろんな思考が頭の中を駆け巡り、悶々として眠れないことがよくあった。そんな時に『唄』や『鼓動』『JUPITER』『MACHINE』『スピード』等の曲たちをただ黙って聴いている。すると活性してた神経がだんだん鎮まってきて、心地良くなってくる。いつのまにか自分がただ一人宇宙空間に漂っているような気がしてくる。この世の中で自分がたった一人になってしまったような孤独…。でもBUCK-TICKの音楽を聴いていると寂しくはない。むしろなにか大いなるものに包まれているような絶対の安らぎがあった。
こんな不思議な感覚を得られるのはBUCK-TICKの曲だけだった。
それ以降、音楽の趣向が多様化するにつれてBUCK-TICKの新たな作品を追うことはしていなかったが、それでも時々ふと真夜中にBUCK-TICKの音とあの心地よさが無性に欲しくて堪らなくなり、一人暗闇のなか聴き耽ることがその後も続いていた。
一度だけ、縁あって2010年の年末に日本武道館へBUCK-TICKのLiveを観に行った。当時の新作アルバム『RAZZLE DAZZLE』のツアーファイナルの位置付けで、アルバムをチェックしてなかったからほとんどわからない曲ばかりだったけど、『独壇場Beutiy』 のはっちゃけたノリが可愛らしかったのが印象に残っている。それからLiveの中盤で『唄』のイントロが始まった時の興奮は今でも心の中にありありと思い出せる。
初めて音源じゃなくBUCK-TICKの生演奏を聴いて、とにかくBUCK-TICKはゴリゴリの屈強なLiveバンドなんだなと強く感じた。ダークかつアーティスティックな演出やビジュアルや世界観に目が行きがちだけも、それよりもまずボトムがえらく強固で5人のアンサンブルに徹底して拘っている生粋のLiveバンド。その土台の上でフロントマンの櫻井敦司の妖しい歌声と圧倒的に優雅な佇まいが、武道館をどこか別次元の空間へと導いていた。
その後も相変わらず最新作を追っかけることをしないまま、それでも年に数回、真夜中にBUCK-TICKが聴きたくなる衝動だけはずっと続いていた。
2010年代になると、色々なフェスやイベントのTV放送で時折BUCK-TICKを見かけることが増えた。そこで画面越しに聴いた『Mement Mori』『エリーゼのために-ROCK for Elise』『INTER RUPTOR』『夢見る宇宙-cosmix-』といった曲たちがまた素晴らしかった。相変わらずのBUCK-TICKのサウンドであり、死生観や愛や宇宙を歌うことは変わらないのに、土着的だったりダンサンブルだったりして音楽性の広がりが底知れない。貪欲に何でも呑み込んで転がり続けるBUCK-TICKがいた。
真夜中に一人でBUCK-TICKのLive映像を見て過ごすこともこの頃から増えていった。
そしてここ数日。夜中も朝も昼も関係なく時間があればひたすらBUCK-TICKを聴いている。
知らなかった曲たちの素晴らしさにため息をつきながら、改めて、真夜中に一人で暗闇のなかBUCK-TICKの曲を聴くという行為は、自分にとってとてつもなく大切なものであったということを痛感している。
それは櫻井敦司が教えてくれた。
暗闇のなか皆が寝静まった静寂の時間。夜明けまでの束の間の独壇場。精神が自由でいられる時間。
そんな時間にBUCK-TICKを聴いていると、しょうもないくたびれたおっさんでも、そこでは子どもにでも蝶にでも華にでもなれるし、宇宙を夢見ることもできる。なにものでもないただ一つの生命体としてこの世に存在できる。
いつか自分がこの世界から旅立つその日まで、これからも真夜中の時間とBUCK-TICKの音楽を抱きしめていたいと思っている。
ありがとう櫻井敦司。
これからもよろしく。
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