こぼしたコーヒーは還らない
買ったばかりのコーヒーをつるりと手を滑らせて落としてしまった。コーヒーは盛大にこぼれて、白い床に茶色いコーヒが広がる。淹れたてのコーヒーの香りがあたりに漂う。
慌ててポケットティッシュで拭き取っていくが、Lサイズで頼んでしまったコーヒーは2つや3つのポケットティッシュでは到底足らず、それでも必死で流れていくコーヒーを拭っていたら、「どうぞ」と鼻セレブのポケットティッシュを差し出された。それも2個。きれいなお姉さんだった。スマート。お礼を言うと颯爽と行ってしまった。
出勤してくる従業員さんの邪魔になりながらもなんとかコーヒーを拭き終えて、私もお店に向かった。
私は、買ったLサイズのコーヒと、それを運ぶためのカップホルダー(手作り)を手放すことになった。
私には、鼻セレブをくれたお姉さんの優しさと、何も言わずにそっと避けて通過してくれた人々の優しさが残った。
インド占星術的にこの出来事を見てみると、ダシャーにラーフとケートゥが重なる時間であった。
トランジットでは、減衰する太陽が新月の影響を受け弱っている。そこに火星が月と太陽を傷つけ、コーヒーを飲ませまいとしたのか。サターンはもともといつでも私に慎重さを求めているし、トランジットで12室、私には6室に当たる場所にある水星がうっかりミスを引き起こしたのだろう。
さて、別の角度から見ていくと、このアクシデントの教訓は別にあるといえる。
今日、ファミマで購入したコーヒー。私はこれを「欲していなかった」ことに原因がある。
何となく、買ったのだ。
そして、こぼした。必要でないものを購入することが罪深いことであると私に突きつけたのだ。
ものを買うという行為には明確な動機がなくてはいけない。すべてが必然であるためには、『なんとなく』行う行為はすべて罪となる。
このことを私は心に刻む。こぼしたコーヒーは戻らない。しかしこの出来事が「コーヒーを飲めなかった悔しさ」と「常に心から欲する状態であること」を気づかせてくれたと言える。
とまぁ、なんか教訓風にまとめてみたけど、結局言いたいのはコーヒー飲めんかったの悔し!
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