全部親父が悪い 2023/9/14 阪神-巨人戦
私が阪神タイガースに興味を持ったのはいつなのか記憶にない。気づいた頃にはタイガースのトレードマークが入った黄色いプラスチックのバットを持って走りまわっていた。
親父は毎日仕事で忙しく、幼い頃の私と会話をする時間はほとんど無かった。しかし毎日夜8時半になると電話をかけてきた。そしていつもこう言う。「阪神勝っとるか?」
「勝ってるで!」と答えると喜んでいた。「負けてるわ。」と答えると「しっかり応援せんかい!」と叱られた。タイガースが勝った翌朝にはいつも私の机に100円玉が置いてあった。
小学校には親父が買ってくれた阪神タイガースの帽子を毎日かぶって行った。下駄箱の番号は31だった。
1度だけ日本一になった。その年は楽しかった。でもそのあとまったく勝たなくなった。
タイガースの試合を見るという行為は食事や睡眠と同じように日常の一部になっていた。他のチームを応援するという選択肢は無かった。私をタイガース漬けに育て上げた親父を恨んだ。他の強いチームを応援することができたらどれだけ毎日が楽しいことか。
高校では野球をした。タイガースに入りたかった。しかし入学1週間後にあきらめた。世の中には化け物のようなヤツが死ぬほどいることを知った。それでも親父は嬉しそうに私のヘタクソな守備を見るために試合のたびにグランドに足を運んでいた。初めてヒットを打った日にはそれまで見たことがないような顔で喜んでいた。
実際に試合をしたことがある化け物たちがプロに入ってもまったく通用せず、ことごとく戦力外通告を受けたことを知ることが増えた。化け物の中の化け物が本物のプロなのだと、戦慄した。
ひさしぶりに優勝のチャンスがやってきた。亀山や新庄が躍動し大健闘した。でも、あと一歩でチャンスを逃した。優勝を逃したその日、私はひとりで鴨川の河原で泣いた。私が目を腫らして帰ってきたのを見た親父は、残念そうだったがどこか満足げでもあった。
タイガースに闘将がやってきた。開幕から快進撃を続けた。GWが明けた頃、ある新聞記事に目がとまった。「Xデーは9月15日」と書いていた。すぐにチケットを確保した。9月15日からは広島との3連戦。すべて確保した。
その日はやってきた。親父も呼んだ。隣に座って親子で闘将の胴上げを見た。「お前、ええチケットとってたなああ!わはは!!」といつになく喜んでいた。その顔は、私が高校で初ヒットを打った日よりも喜んでいるように見えた。
その後はまた優勝から遠ざかる日々が続いた。親父の体が悪くなってきた。「お前、そろそろ優勝せなワシ死んでまうがな!」口は達者だった。その年は開幕から9連敗だった。
年が明け、新しいシーズンが始まった。前年とは打って変わり、タイガースは開幕から勝利を重ねた。親父も足元をヨロヨロさせながら時おり球場に足を運んだ。春先は中野のサヨナラヒットを見て両手を上げて喜んでいた。
シーズンは進み、恒例の夏のロードがはじまった。8月初旬、私はDenaとの3連戦を観戦するため横浜スタジアムの近くに宿をとった。昨年はタイガースにとって鬼門であったこの球場であったが、初戦・2戦目は快勝。3戦目のナイターを前にした試合前の午後、宿で気分良く準備していた私のスマホが鳴った。
夕方、私は横浜スタジアムではなく京都の病院にいた。親父の意識はもう無い。わずかに右目が開いた。親父の視界に入るであろう位置に移動した。「おーい、来たぞー」と声をかけた。反応はない。枕元に横浜スタジアムの状況を伝えるラジオを置いた。タイガースは勝った。タイガースの3連勝を伝えるアナウンサーの声が、親父に届いていたのかはわからない。
その夜、親父がこの世からいなくなった。
今日の試合。あの日のように親父を呼ぶつもりだった。でも、たぶんどこかから見てるだろう。
何年もつらい日を過ごすことになった。18年も胴上げを見られなかった。こんなチームを私の生活の一部に組み込んだ親父が悪い。死ぬんやったら今日の試合を見てから死にやがれ。アホちゃうか。
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