野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第二話 高山彦九郎(番外)しも&さき
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◆ 彦九郎、妻子いたの?!
お祖母さんが亡くなり、3年間の服喪というびっくりな行事をした彦九郎。
ところで、
彦九郎の妻子(前妻しも、しもとの娘せい、今の妻さき、さきとの子さと、義介、りよ)も作法に従った(『墓前日記』)。
という文にびっくりしませんでしたか!?
いつの間に妻子いたの、彦九郎!!
しかも2人も!!
著者(野口良平さん)より、コメントを頂きました!(編集人)
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◆ しも と さき
彦九郎の結婚生活についてですが、前妻(しも)と後妻(さき)と、二人の名が記録に残っています。
二人とも、宗門人別帳にはその名が記されておらず、内妻、今でいえば「事実婚」の相手(当時はその概念がなかったので「妾」と表記されてもいます)としての立場だったようですね。「お妾さん」とは違いますが、それでも当時はやはり、肩身の狭い思いをする立場だったと思います。
なぜ「内妻」だったのか、私なりの推測を書き入れてはおきましたが、本当のところはわかりません。
二人の「声」(言葉)に関しては、私の知りえた範囲では、文中に書き入れしましたさきの歌しか、残されていないようでした。
90歳近くになっていた彦九郎の妹きんに話をききにいった人の記録が残っていますが(『高山彦九郎日記』第5巻)、それによると、しもは男の子を生めなかったので離縁された(これはきんの解釈であって、実際の理由はわかりません)、さきは村でも名高い「醜女」だった、とのこと(彦九郎には深く愛されていたという印象です)。
しもの娘は高山家の娘とされたので、しもは娘と引き離される形になって、つらかったと思います。
さきは、彦九郎の没後に新田郡村田村の丸橋正右衛門という人に再び嫁いだそうです(萩原進『草莽の臣高山彦九郎』)。
しもとさきのなかで、どういう心のドラマがあったのでしょうね。
私のなかでは、上州の女性、いずれにしてもたくましかったはずだ、という希望的観測も生じはしますが、それを確かに推し量る手がかりを、まだ得ることができていません。
(野口良平)
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