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生きていると実感したい。


「消えてしまえたらいいのに」

そんなことが初めて頭に浮かんだのは、
記憶に残る限りでは確か9歳の時だった。

両親、2つ上の兄、8つ下の妹という家族がいた。
そして父方の祖母が同居していた。
物心ついた頃には母と祖母の折り合いは悪かった。
大小を問わず日常的に2人の女性の諍いがあった。
そんな日常を面倒に感じていた父は、一貫して部外者の姿勢を貫いていた。
だから、揉め事が起こる度に私が選んでいた立ち位置は、「母の味方」だった。
一桁の年齢であっても、私は母を守るための盾になろうとして生きていた。
大好きな母を理不尽な攻撃から守ろうとしていた。
そうすることで、母に「この子がいてよかった」と思って欲しかった。

母のことは好きだった。
母の陣営につくことで母を守れると思っていたから、自分の意志で「母の味方」になっていた。
そう思っていた。
でも、本当の理由はただ母に好いて欲しかった、というだけだと思う。

私の容姿は父親似だった。
細身で整った顔立ちの母とは異なり、私は幼少から肥満で、顔立ちもとりたてて褒められたものではなく、愛嬌があるわけでも気が利くわけでもなく、母の自慢になれるような素質は持っていなかった。
可愛い洋服を着ても可愛らしくは見えない私に母はいつもこれ見よがしにため息をついていた。
私は何もいうことができず、ただ悲しい気持ちになるしかなかった。
勉強はそこそこはできたものの、見える範囲の中でさえ、誰よりも秀でているとは言えなかった。
そんな私に母は「お前はいつも、後少しのところでダメになる」とよく言っていた。
後少しってなんだよ、どこにゴールがあるんだよ、と思いながらも、母の期待に応えられないことが悲しかったし、腹立たしかった。

腹立たしかった?

そう、腹立たしかった。

私は苛立っていた。
勝手なことを宣う母にではなく、母の望むような子どもになれない自分に苛立っていた。
母が決めた「いい子」の範疇に入れない自分を、好きになることができなかった。

親が世界の全てと思ってしまう子どもの頃の話だ。
今なら母の気持ちや行動の理由を理解できることもたくさんあるけれど、あの頃の私には抱えきれないことばかりだったのだろう。
母の期待に応えられない自分。
母に似た容姿の兄。
兄と同じ誕生日を持った妹。
異質のものである私。
どんなに頑張っても認められない私。
努力してもなんの興味も持たれない私。

自分に価値なんて感じられなかった。
誰からも好かれない自分を、自分で好きになることはできなかった。

他人から望まれる自分になれなくても、たとえそれでがっかりされたとしても、それはあなたの問題ではなく相手の問題なのだよと今なら思える。
でも、頭ではわかっても、私の心のベースはあの頃のままで、他人の期待に応えられないと心がざわざわしてしまうのは今も変わらない。

そんな気持ちは誰かにグズグスに愛してもらえれば無くなるのだろうか。
確かめてみたい。
だから、誰か私をグズグズに愛してくれないだろうか。

なんていう、取り止めのない話。
救いようのない話。
戯言だ。

吐き出したから、現実に目を向けて、地に足をつけて生きていこう。
明日も幸せを見つけられる日にしよう。
そう無理やり自分に言い聞かせる。
そんな日々を繰り返している。

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