見出し画像

「切り絵で世界旅」二〇三高地(旅順/中国)日露戦争最大の激戦地。ここがなぜ重要拠点だったのか?

 二〇三高地といえば、日本海海戦と並んで、日露戦争の雌雄を決する闘いが繰り広げられた激戦地として知らぬ人はいないだろう。
 なぜ二〇三高地という無味乾燥な地名が付けられたのかといえば、この地が海抜203mにあるからだ。聞けば納得である。

旅順港に向けられた砲台

 旅順港の北西にある二〇三高地の麓から急勾配の坂を登りながらやっと頂上付近につくと、視界が一気に広がる。砲台が置かれた場所から旅順の市街地と旅順港がよく見渡せる。ここから砲弾を発射すると旅順港まで届くのだ。ロシア側がここを死守するために必死だったはずである。
 そして今度は北東にある東鶏冠山北堡塁へ。ここもロシア側の防御要塞跡なのだが、訪れてその規模の大きさに驚いた。1900年から4年かけて造った要塞には30門の砲台が配備されていた。
 広大な面積を誇るロシアだが、冬は港が凍って使えない。だから不凍港を手に入れるのは悲願でもあった。そしてやっと手に入れたのが旅順港だった。
 二〇三高地と東鶏冠山北堡塁を見ると、ロシアがいかに旅順が大切な拠点であったのかを改めて理解できたような気がした。まさに百聞は一見に如かずである。
<訪れた日/2018.3.11>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?