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ジミヘンとマイルス<後編> ~1970年の2枚のライブアルバム ~

マイルス・デイヴィスは1970年1月1日のジミ・ヘンドリックスのフィルモア・イーストでのライブを観た後、急速に「ジミヘン化」(菊池成孔)してゆく(詳しくは<前編><中編>をどうぞ)。


「ジミヘン=マイルス」期の最初期のパフォーマンス『ライヴ・イヴル』

 
「ジミヘン=マイルス」期(★1)の最初期のパフォーマンスを聴くことができるのが、『ライヴ・イヴル』という2枚組のアルバムに収められた1970年12月19日のワシントンDCのセラーズ・ドアというジャズ・クラブでのライブ演奏だ。
 
ワイト島のメンバーからチック・コリア(elp)とデイブ・ホランド(elb)が抜け、キーボードはキースが一手に担い、マイケル・ヘンダーソン(elb)が加わり、そしてセラーズ・ドアにはジョン・マクラフリン(エレクトリック・ギターelg)も駆けつけた。
 
マイケル・ヘンダーソンはスティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンのバンドにいたファンク畑のベーシスト。ヘンダーソンはその後の「ジミヘン=マイルス」バンドのキーマンにひとりとなる。
 
ジョン・マクラフリンはエレクトリック・マイルスの大作『ビッチェズ・ブリュー』やロックビートを初めて導入した『ジャック・ジョンソン』(1970年2月18日録音)にも参加しており、ギターという楽器、そしてマクラフリンの歪んだギター・サウンドは、「ジミヘン化」するマイルスの象徴的存在だった。
 
マイルスがワウワウ(ワウ・ペダル)を初めて使ったのは1970年6月3日のレコーディングだと言われている。ジミから送られたものだ。そのセッションは《リトル・ハイ・ピープル》と名づけられて『コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ』というアルバムで聴くことができる。
 
コンサートで本格的にワウワウを使うのがワイト島の後の1970年10月のフィルモア・ウエストあたりから。『ライヴ・イヴル』でもワウワウを駆使したマイスルのソロを聴くことができる。ワウワウにより周波数を小刻みに変化させることが可能になったトランペット・サウンドは、エレキギターのそれに一気に近づいた。

ジミの《マシン・ガン》と通底する、ライブの白眉《イナモラータ》。


さっそくセラーズ・ドアでのライブの白眉《イナモラータ》 Inamorata and Narration by Conrad Robertsという曲を聴いてみよう。

 
マイケル・ヘンダーソンの強烈なファクベースとバシャバシャと派手な16ビートを刻むジャック・ディジョネットのドラムスで幕を開け、冒頭からマイルスのワウワウトランペットが歌うような、泣いてるようなフレーズでシャウトする。ゲイリー・バーツのソロが続く。うめき声のようなフリーク・トーンのアルトサックスの咆哮。ジョン・マクラフリンの引きつったような、歪んだサウンドのギターソロが引き取る。キース・ジャレットのエレピソロは、ほとんど無調の領域に入り込んでしまっている。その間もリズム陣は自在に密度が変化するポリリズミックな波を送り込む。再びソロを取ったマイルスは一段と狂暴化し、短いフレーズの繰り返しにあわせて、全員が徐々にリズムと音圧を加速させ、大団円へとなだれ込む。
 
すすり泣いているようなマイルスのワウワウ・トランペットは、ジミへの鎮魂の響きにも聞こえる。ちなみにイナモラータ Inamorata とは愛する人(女性)という意味(★2)。
 
黒い身体性、大衆性、攻撃性、忘我的エクスタシー、それらが一緒になって空間性を獲得している点など、ジミのフィルモア・イーストでの《マシン・ガン》と通底している。
 
「ジミヘン=マイルス」期の基本スタイルを菊池成孔はこう表現している。
 
「ベースとドラムはファンク、ギターやキーボードはポリモード/ノイズ、サックスはコルトレーン的なモーダル・プレイヤー、トランペットはワウワウつきのシャウト」。

大地、身体性、空間。<世界>を生成するマイルス・デイヴィス


 マイルスはジミのライブでどんなヒントを見出したのか。
 
マイルスは<世界>を発見した、ということだと思う。
 
セカンド・クインテットの天才メンバーらとアブストラクトの極北までジャズを解体したマイルスが求めたものは、ある種の世界性だった。もうすでに解体が終わったジャズというフレームに固執する意味はまったくなかった。
 
<世界>のベースになったのはファンクだ。ジェームズ・ブラウンやスライ&ファミリーストーンやジミ・ヘンドリックスらのファンクだ。
 
マイルスはファンクのリズムで大地や身体性を体現し、調性や和声を脱したモーダルプレイが生み出す水平な広がりが空間性を獲得し<世界>を生成する。
 
なかでもジミの、ロックやブルースやファンクから始まり、そのいずれでもあり、かつそのいずれでもない、ジミだけのオリジナルの<世界>を生成する才能に、マイルスは自らの<世界>生成のロールモデルを見出した。

死のイメージを色濃く宿す<世界>


マイルスの生成する<世界>は、最初から死のイメージを色濃く宿していた。
 
それは「ジミヘン=マイルス」期が、ジミの死からスタートしていること、マイルス本人が当時、ドラッグと病と交通事故と忍び寄る老いにより肉体的かつ精神的に瀕死の状態が続いていたこと、さらにはプリンス・オブ・ダークネス(アルバム『ソーサラー』収録の曲名でもある)と称されたマイルスがもともと持っていた暗くブルーな心性にその理由がある。
 
『ライヴ・イヴル』とは、ライヴ live(生・善)とその逆のスペルのイヴル evil(悪・死)の共存であり、ジャケットの絵の表面のアフリカンの妊婦は美を、裏面の太ったヒキガエルと化した白人は醜を象徴している(アーティストはマイルスの『ビチェズ・ブリュー』やサンタナの『アブラクサス』のジャケットを手がけているアブドゥル・マティ・クラーワイン)。 
 

『ライヴ・イヴル』 ジャケット表面 
『ライヴ・イヴル』 ジャケット裏面


マイルスが聴き、その後のジミヘン化のきっかけとなったフィルモア・イーストでのジミの《マシンガン》から、ジミの死の3ヶ月後のマイルスのライブ『ライヴ・イヴル』を経て、「ジミヘン=マイルス」期のフィナーレである、いわゆるアガパン時代(1974年のライブ盤『ダーク・メイガス』と1975年2月1日大阪フェスティバルホールでのライブ盤『アガルタ』、『パンゲア』で聴かれるサウンド)まで、流れは一直線だ。これらのアルバムを聴いてみるとそう直感できる。
 
死の影を宿したマイルスの<世界>の究極の姿がアガパンのサウンドだ。  

『アガルタ』 
『パンゲア』

アガパン・バンドのキーマンのひとりピート・コージー(elg)は当時の音楽についてこんな証言をしている。
 
「それは人生そのものの音楽だった。つまり浄化であり、蘇生であり、堕落だ。とんでもなく知的でありながら、野卑でもあった。オレたちはある種の世界を作り出し、リスナーにいろんな経験をしてもらい、観客との思考交換を目指したよ」。
 
美にして悪、哲学的でかつ身体的、官能と焦燥、君臨する全能感と自己破滅願望の奇妙なアマルガム。死の影はますます濃く、気積はより拡大し、巨大な黒い帝国が生まれた。
 
アガパンバンドによるライブを最後にマイルスは突然「引退」。世界は帝王不在の6年間を迎える。
 
マイルスが帰還するのが1981年。その間、世界も、<世界>も、すっかり様変わりしていた。

 

 
 
(★)Top画像 photo by 内藤忠行 from『 I Love Him Madly』
 
(★1)菊池成孔はアルバム『オン・ザ・コーナー』(1972年)をもって「ジミヘン=マイルス期」のスタートとしている。
 
(★2)この曲の正式名は《イナモラータ・アンド・ナレーション・バイ・コンラッド・ロバーツ》 Inamorata and narration by Conrad Roberts というもので曲の最後に下記の詩の朗読がなされる。作詩・朗読はコンラッド・ロバーツ。曲名ではInamorataと語尾が女性名詞系の女性の愛する人を意味する単語となっているが、詩文中ではInamoratoと語尾が男性名詞系の男性の愛する人を意味する単語になっている。詩文に登場するほかの言葉をみる限り、本詩では男性が想定されていることは間違いない。何故、曲名と詩文では性が異なるのかは不明だが、男らしさ、芸術・音楽のマスター、言葉では表現できない音楽、永遠性、不可解性、未来などが語られる詩文を読む限り、本来は女性の恋人を意味するInamorataと題された本作が、実は亡きジミ・ヘンドリックスをイメージしているという推論もまったく的外れではないのではないか。あるいはInamorataとは、マイルスとジミの交差するところに位置し、マイルスに多大な影響を与えた前妻にしてミューズにしてミュージシャンのベティ・メイブリーのことであり、Inamoratoとは、彼女から見た愛する人であるマイルスとジミのことを指しており、本作での性の入れ替えは、そのための仕掛けだったという解釈も考えられるかもしれない。詩文はこちらから。
  
[Inamorata and Narration by Conrad Roberts  Lyrics]

Inamorato
Mission: music, masculinity
Master of the art: music
Who is this music that which description may never justify?
Can the ocean be described?
Fathomless music
Body of all that is
Live ever lastingly
Men, initiate
Inamorato, your music art tomorrow's unknown known life
I love tomorrow
 

*参考文献: 
マイルス・デイビス、クインシー・トループ著『マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ、Ⅱ』(中山康樹訳、宝島社、1990)
中山康樹著『マイルス・デイヴィスとジミ・ヘンドリックス』(イースト・プレス、2014)
菊池成孔、大谷能生著『M/D』(エスカイア マガジン ジャパン、2008)
 

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