ただの鉄のかたまり

9年乗った小さな車を、きょう手放した。

私はもともとクルマにまったくと言っていいほど興味がなくて、荷物や人が載せられて安全に走ればそれでいいと、ずっと思っていた。それは基本的に今でも変わらない。
運転免許を取ったのも、子供が産まれて必要にかられてのことだったし、その後すぐに旦那が中古の小さな軽自動車を買った時も、特に何の感想も抱かなかった。前の車は旦那の趣味でMTだったのだが、日常的に買い物などで運転するのが運動神経が欠如していて決定的に鈍い私だということで、今度の車はATに決まり、ほっとしたことを覚えているくらいだ。
だから納車の日にやってきた小さな丸っこい車に、特に愛着はなかった。車種だってナンバーだってろくに覚えなかった。
そのうち子供が二人に増え、いよいよ出かけるのに車が必要不可欠になり、狭い車内の後部座席にチャイルドシートを2つ並べて出かけるようになった。
泣いたり笑ったりしゃべったり、はたまた歌ったり吐いたり漏らしたり、忙しくやかましい子供を載せて、主に近所のショッピングセンターやホームセンター、たまに少し離れた広い公園。熱を出してぐずる子をシートに押し込んで病院にもよく駆け込んだ。お菓子の欠片や靴についた泥がシートにこぼれるのもかまわず、洗車もめったにしなかった。小さな車だったけど、鈍い私はたまにミラーを擦ったり縁石で底をガリガリしたりした。人身事故や、派手にぶつかる事がなかったのは幸いだった。

そんなふうに数年があっという間に過ぎた。小さな車にはちょっとした擦り傷が幾つか増え、チャイルドシートは一つずつ幼児用のジュニアシートに替わり、そしてそのジュニアシートもいつの間にかなくなった。
身体が大きくなり、狭い後部座席にみっちり詰まるようになった子供たちを乗せて、ドライバーとして多少の経験を積んだ私は、徐々に遠出をするようになった。
旦那が土日に忙しい仕事だったので、家族旅行はなかなかできない。不満顔の子供たちに、よし、お母さんがどこでも連れて行ってやる!と大見得をきって、母と子の三人で色んなところへ出かけた。高速道路の運転にガタガタ震えながら、慣れ親しんだ千葉県を出て、静岡の海へ海水浴に行ったり、長野の山の中に友達の家族に会いに行ったりした。母の運転がおぼつかないのは子供たちもよくわかっていて、高速の合流で私が「うわあ!どっちだ!入れるのか!車線変えられるのか!入れてください!お願いします!」などと一人で騒いでいると、後部座席から「お母さん頑張れ!!」と声援を送ってくれたりした。小さくて、そしてもうかなり古い軽自動車は、それでも長旅でトラブルを起こすこともなく、いつも無事に自宅まで私たちを乗せて帰った。

クルマが好きな人の中には、まるでクルマに人格があるかのように可愛がる人も多いと聞く。生活を共にする相棒のような感覚だろうか。私は、そういう気持ちを抱いたことは無いように思う。この車はただの便利な道具だ。少し手狭になって、燃費も決して良くはないし、あちこちガタがきているけれど、生活には欠かせない。重い荷物を載せて、思い通りに動いてくれる便利な鉄の塊だ。

子供たちが成長するにつれ、小さな車ではいよいよ用が足りなくなってきた。部活や習い事で自分の子以外の子供たちを送迎する必要もあり、思い切って大きな車に乗り換えることにした。
年式の古い、あちこち擦り傷のある、しかも手入れの悪い車は、見積もりにやって来た中古車買い取り業者のお兄さんの苦笑とともに、二束三文の値をつけられた。鉄くず扱いかと思ったがスクラップにはせず、次の買い手を探すらしい。値段がついただけでも有難い状態なのは確かだったので、私たち夫婦にも異論はなかった。引き渡し日を約束して、それから数週間はいつも通りに買い物や送迎に使い倒した。

今日、午前中から、黙っていても汗が滴り落ちるうだる暑さの中で、車の最後の掃除をした。
シートの下やドアポケットの底から、数年前の日付のレシートや、失くしたとばかり思っていた腕時計や眼鏡が出てきた。子供たちがこっそりシートの隙間に押し込んだ、駄菓子のパッケージや丸めたティッシュも。それからザラザラした砂ぼこり。今までいかに掃除をサボっていたかがよくわかる。それを、他人に譲るのだからせめて恥ずかしくないようにと、今までにないほど丁寧に、掃除機をかけ、細部までクロスで拭いた。
ドアを全開にして作業していたが、ものすごい暑さだった。運転席のシートの下を掃除していたら、頬を伝った汗が一滴、足元のマットに落ちた。

この車にはこうやって、子供たちの靴についた細かな土の欠片や、公園で遊び疲れて眠った額に前髪を張り付かせた汗が、ほんの少しずつ浸み込んできたんだな、そう思った瞬間に涙が出てきた。自分でもまったく予想外だったのでうろたえた。口先では、この車と別れるのが寂しい、と言ってはいたものの、まさかそんなセンチメンタルな気持ちになろうとは考えもしなかった。
ボロボロ涙を流しながら、最後に綺麗にしてあげるからね、と思った。
しかしほどなくして、これはまるで家庭内暴力をふるっていた男が、女から別れを切り出されて慌てて泣いて謝っているようなものではないか、と思ってしまって涙が引っ込んだ。今まで大切に乗ってきたならともかく、数年越しのゴミやホコリにまみれさせておいて、別れが辛いとはずいぶん自分勝手な理屈だ。
今までこの車を擬人化して可愛がった事などないのだから、最後まで道具として手放すだけのことだ。そう淡々と掃除を終えて、あまりに暑いので最後にエンジンをかけクーラーを入れた。


ドルルン、と音を立てエンジンが動き出し、車全体が細かく震える。生ぬるい風がエアコンの吹き出し口から流れ出す。車は生きてるみたいだな、と初めて思った。生き物のように車を可愛がる人は、この低いうなりや、規則的な振動を、心臓の鼓動や息遣いのように感じるんだろうな。
年季が入ってテカったハンドルを撫でて、今までいろんなところに連れていってくれてありがとうね、と呟いた。身勝手だけれど、勝手な感傷だけれど、これは私が初めて長い間運転した車だった。赤ん坊が産まれ、その子たちが大きく育ち、私がだんだん人の親になっていくまでの時間が詰まった車だった。

次に乗る車にはどんな感情を抱くことになるのか、私はまだわからない。そして売ってしまった小さな車のことも、薄情な私はすぐに忘れてしまうに違いない。長年大切にされたモノには魂が宿るというが、それほど大切にしてもいなかったのだから、私が忘れたらそれっきりだ。
なるべく忘れないよう、忘れてしまっても思い出せるよう、ここに書いておくことにした。
家族が育つ時間がしみ込んだあの車のことを。

だいじに無駄遣いさせていただきます!