見出し画像

4.1990年 WRCへの参戦 93年悲願の初優勝

<引用>
1989年9月、欧州でのレガシィ発売開始の同日に、1990年4月のサファリラリーを皮切りにレガシィで世界ラリー選手権に参戦することがSUBARUより発表されました。STIを介し、車両開発を英国のプロドライブ社、エンジン開発はSUBARUが担当することに。

1990年2月には具体的な参戦支援計画が決定。SUBARUが WRCに参戦する大きな目的は、参戦によって得られる技術的ノウハウを量産車へフィードバックすること。特に数あるモータースポーツカテゴリーの中でも、ラリーは量産車をベース車両として行なう競技であり、また世界のラリーフィールドは量産車の総合性能向上につながる技術的ノウハウを得るのに相応しいと考えたためでした。<引用以上>

1989年10万キロ世界速度記録を塗り替えたSUBARUは翌90年にWRCへの本格参戦を発表しました。WRCには70年代からサファリラリーを中心に研究実験部の「有志」がワークスではなく参戦していましたが、89年のWRC「本格参戦」はまさに最高峰への挑戦でした。

92年に新型インプレッサを93年に2代目レガシィを発売したSUBARUにとってこの90年からのWRC参戦、93年初優勝、95,96、97のWRC三連覇と言う偉業は、90年代SUBARUブランド躍進の大きな礎になっていたことは誰も疑わない。

ラリーの話はいろいろ出ていますので検索してください(笑)

ちなみに私は1992年から宣伝課のメンバーになったのですが、WRCはとてもお金がかかります。具体的には申し上げられませんが。。そこで下記資料です。 古い話なのでデータを探すのに苦労しましたが「新型レガシィが歴史を変えた89年」「念願のWRCへの挑戦の90年」そして94年までの業績です、90は296億円 91年は576億円もの営業赤字を出しています。その後もほぼ収益の出ない図式になっています。いまでこそ2~3000億円の営業利益を出せていますが、惨憺たる業績です。

90年は私もまだ20代だったので、会社の業績等に無頓着にWRCへの参戦を一社員として喜んでいましたが、いま思うとよくこの時代にレガシィやWRCやと種をまいたな。ということです。素晴らしい経営判断だったと思います。

その辺の背景は野地 秩嘉さんの書いた「飛行機野郎が創ったクルマ」に詳しいので紹介します。

必要な投資判断した経営には感謝しかないのですが、当時思えば宣伝もレガシィのCMにブルースウィルスが、インプレッサの広告にもカイル・マクラクラン、そして93年のレガシィではロッド・スチュアートと広告宣伝費も積極的に使っていたことを思い出します。

なにが言いたいかと言うと、マーケティング的にはやはり「潮目」があり90年代は市場(お客様)の反応の良さを日々感じる毎日でした。上げ潮とでもいうか。そういうときこそ「一気呵成」に畳みかけることが大事でありケチってはいけないのです。そして、この頃の投資は後年大きくなって戻ってきたと思います。 (一方で引き潮の時は頑張っても引くばかりだったりするのですが)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?