ピンク玉に命を救われた話

 私には、二つ年上の兄がいた。
 兄には自閉症という知的障害があり、言葉が話せないわけではなかったが、ものごとの捉え方や言葉の扱い方が私と異なるために、言語によるコミュニケーションが困難だった。

 兄が喋ることはいつだって、質問調でありながらも同じやり取りを繰り返させるだけで、そこに兄の感情も思考も乗っていないように感じられて空虚だったし、私が何を話しかけてもオウム返しにされるだけで、私の思いや言葉の意味が伝わっているとはとても思えず、会話をする意味が感じられなかった。

 私が物心ついた頃には両親は離婚していて、兄と私は母と三人で小さなボロアパートで暮らしていた。
 兄はいつからか、感情のコントロールが効かなくなった時に決まって私を殴るようになった。大人である母を殴れないのだから下のきょうだいに八つ当たりをするのは自然なことだと思う。

 私も負けず嫌いだったものだから当然殴り返して、よく殴り合いの喧嘩になっていた。
 けれど、十にも満たない子供の二歳差はとても大きく、いつだって私は簡単にマウントポジションを奪われて、泣き叫びながら母が助けに入るまでを耐えるのが常だった。

 殴り返したなら同罪だったろうか? やり返したから余計にヒートアップしたのだろうか? 柳に風と受け流していれば被害を抑えられただろうか? けれど私はそうは思わない。
 黙って耐えるだけならただのサンドバッグと変わらない。喧嘩に勝つことは出来ないまでも、私はせめて、殴るのにもリスクがあるサンドバッグでありたかったのだ。

 私が小学校に上がったくらいの頃から、母は私が殴られているのを見ても助けに入ってくれなくなった。きっとお決まりのパターンに嫌気が差したのだと思う。
 「どうせアンタが余計なことをしたせいだろう」と言われるようになり、泣き声がうるさいと怒られるようになった。
 当然、きょうだいへの暴行を咎められなくなった兄が私に殴りかかる機会は増え、今までは家の中の母の目がない所だけだったのが、母の目の前でも往来でも構わず暴力を振るうようになった。

 母を真ん中に三人川の字で寝ていたのが、私だけ別の部屋で寝るように言い渡されたのもこの頃だ。
 いつものように馬乗りになって私を殴る兄を、珍しく止めてくれた母は「うるさい、これじゃ寝られない」と言って私の腕を掴んで隣の部屋に引っ張って行った。
 そこはバストイレキッチンへと繋がる広めの部屋で、画面の消えたテレビも、開けたことのない押し入れも、キッチンの窓からぼんやり入る月明かりも、私には恐ろしくて堪らなかったが、いくら泣いても、何度謝っても、母は私が同じ部屋で眠ることを許してはくれなくなった。

 ある日、珍しく家族三人で市民プールに行ったときに、まだ長い距離を泳げず、兄の使う浮き輪に掴まっていた私の頭を兄が突然水の中に押し込んだ。
 当然のことに驚いてパニックを起こした私は、文字通り必死になって浮き輪にしがみついたが兄の力は強く、殆ど溺れかけながらどうにかプールサイドによじ登ることに成功し、飲み込んだ大量の水を吐きながら、何度も助けてと呼んだのに、子供が泣きながら水を吐く姿を見て尚、心配の言葉一つかけない母を目の端に捉えて、こんな毎日が一生続くのかと絶望するしかなかった。

 母はいつも兄ばかり見ていて、私を邪険に扱うものだから、月に一度遊びに連れて行ってくれる父のことが大好きだった。
 映画や動物園やヒーローショーに連れて行ってくれ、靴の上に私の足を乗せて歩いてくれたり、肩車をしてくれたり、欲しいものはあるかと何でも好きな物を買い与えてくれた父のことが大好きで、父が仕事で行った外国の話を聞く度に「今度外国に行く時は私も連れて行って」とせがんだものだった。


 そんな父が連れて行ってくれた小さな中古のゲームショップで見つけたのが、スーパーファミコン用ソフト『星のカービィ3』だった。
 私にとっては人生を変えた運命のような出逢いだった。

 友達の家で『星のカービィスーパーデラックス』を遊ばせてもらったから、カービィというキャラクターのことは知っていた。
 画面の奥から大きなクジラが飛んできたり、カービィが色んな形の石像に変身したり、大きな鳥と戦ったり、トロッコに乗って宝探しに出掛けたりする、可愛くて、不思議で、カッコよくて、なんだか奇妙で面白くて、現実とは全然違っていて、まるで夢の世界のようで、とても魅力的に思えて、強く強く憧れたのだ。

 ゲームのことなんて何もわからなかったけれど、あの強烈な憧れだけを目印にして、久しぶりに会えた父にカービィの魅力を思い付くままに捲し立て、そのカービィってのはどれのことだ? と連れて来られたゲームショップで見つけたのが、当時の私には知る由も無かったが、『スーパーデラックス』とは全く違う、柔らかいピンク色で描かれた『星のカービィ3』のパッケージだった。

 あんなに怒られることに怯えていたはずだったのに、家に帰った私はすぐさま、押し入れから勝手に見つけ出したスーパーファミコンを持ち出して、母に真っ直ぐ向き合い直談判し、なんと父に買ってもらったカービィ3を遊ぶ許可を得ることに成功したのだった。

 ゲームを初めて起動した瞬間のことは忘れない。母にテレビへのコードの繋ぎ方を教えてもらって、はち切れんばかりに期待に胸を膨らませながら電源を入れ、丸みのある灰色のコントローラーを握りしめて、ふわふわしたパステル調で描かれたカービィと仲間らしき可愛らしい動物(?)達を見つめながら、(あれ? なんだか思ってたのと違うぞ?)などと考えていた。

 結果的には、『スーパーデラックス』と間違えて『3』を買ってしまったことは、間違いなく[正しい]選択だった。
 スーパーデラックスは非常に自由度が高く、出来ることが多いゲームだったため、当時の私のようなゲーム初心者にはきっと難しかった筈だ。
 3は一本道のストーリーで、ゲームとしても左から右へ進み扉に入るという変則的な部分が無くシンプルな作りで、雰囲気も柔らかくて優しかったし、難易度も易しかった。

 2Pキャラクターが設定されているのも私には嬉しいことだった。
 私がプレイするのを見て興味を持った兄と、一緒にゲームを遊ぶことが出来たのだ。
 2Pキャラクターのグーイは、カービィと同じ操作でほとんど同じことが出来るが、彼が何度死んでもカービィさえ生きていれば何度でも復活出来るという、とても便利なキャラクターだった。

私は嬉々として、操作方法やらキャラクター達の名前やらコピー能力の使い方やら仕掛けの解き方やらを一つ一つ兄に解説しては、「こうしたらいいんだよ」「ここにいたら攻撃当たらないよ」と拙いアドバイスを繰り返した。

 ダッシュ操作に必要な[方向キー二度押し]が出来なかった兄と一緒に、素早く左右に振り向かせることで偶発的にダッシュが発生することを発見して[くるくるダンス]と命名した小技は、ポップスターでの冒険中、兄のグーイと私のカービィを何度も何度も助けてくれた。

 切り立った崖のステージでは、空が飛べないリックを連れたままクリアするのが難しく、コピー能力の使用中は画面外に出てもスーパージャンプが発生しないことを利用して、兄のグーイにリックを保護してもらった状態でカービィがふよふよと上空を移動して、ゴールまで辿り着くことに成功した。

 一緒にゲームをプレイするうちに、兄の考えていることが私にも少しずつ解るようになっていった。
 例えば、兄がやろうとしているのに上手く出来なくて焦っている時に、ガンガン指示を重ねると、キャパオーバーしてパニックを起こす。兄の意図を汲んで上手く誘導してやればゲームの進行も上手くいくし、兄の怒りが私に向くことも無いし、兄も操作が上手くなる。
 兄が何かに苛立っている様子を見せたら、違う場所に目を向けて気を逸らしてやれば、兄はちゃんと自分の感情をコントロールしてくれるのだ。

 兄は私のことを嫌いなわけじゃないし、私を虐めたくて虐めているんじゃない。
 自分でもどうにもならない感情の波のやり過ごし方がわからなかっただけだったのだ。
 私が自分の意見や感情の伝え方を工夫したり、なるべく具体的に説明することを心がけるようにしてからは、私が兄に殴られることはほとんど無くなった。
 二人で一緒に出掛けることも増えて、あるとき私が時刻表を見間違えてバスに乗りそびれてしまった際には、兄が衝動的に振り上げた拳を、私が咄嗟に口走った言い訳をオウム返しに繰り返しながら、ゆっくりと下ろした。
 てっきり殴られると思ったし、私のミスだから殴られても仕方ないと思った。それでも殴られたくなくて下手な言い訳を重ねた私を、兄は兄の意思で自分をコントロールして、兄の暴力から守ってくれた。
 ちゃんと私達は、仲の良いきょうだいになれていたんだと思って、嬉しかった。

 水のステージのアクロというシャチのボスは、とても強くてなかなかクリア出来なかったけれど、何度も兄と一緒に力を合わせて戦うのが楽しかった。
 バケツで花に水をかけるステージでは、間違って花を踏まないようにと私が作業する間兄を待たせているだけだったのに、私が失敗して最初からやり直しになっても、毎回私に任せて待っていてくれたし、難しいミニゲームには何度だって一緒に挑戦した。
 真っ白のラスボスと戦うときは、手が震えて、一人では恐くて戦えなくて、勉強中の兄をゲームに誘って母にしこたま怒られた。


 結局、とっくに壊れかけていた家族の形が元通りに戻ることはなく、私は家と縁を切って独りで生きることを選んだけれど、兄のことを嫌いになったことは一度もない。

 けれど、もしも子供の頃、カービィに出逢えていなければ、どこかのタイミングで、本当に死んでいたかも知れなかった。
 カービィが兄との会話の仕方を教えてくれたから、兄が私を嫌っているわけじゃないと信じることが出来たから、私は私が好きになった世界を好きでい続けることが出来た。

 私の心と、私の心が守った私の命は、カービィが守ってくれた。
 まんまるでぷにぷにで食いしん坊なピンクの悪魔に、ちゃんと大人になれた私から、心からのありがとうを残しておきたいと思った。



 桜井政博さん、カービィを生み出してくれてありがとう。
 下村真一さん、カービィ3を作ってくれてありがとう。
 HAL研究所の皆さん、任天堂の皆さん、カービィのゲームを世に送り出してくれて、ずっと作り続けてくれてありがとう。

 カービィ、いつまでだって大好きだよ。子供の私を助けてくれてありがとう。


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