ボクの名前はジークフリート 第5話  「どこへいくのも皆一緒」

 横浜の家では、姉ちゃんや兄ちゃんと一緒に散歩に出かけた。その頃は、まだ自宅の周囲には宅地造成が始まる前の空き地がたくさんあって、リードを外してもらったボクは、ボールを追いかけて駆け回った。しばらくすると、空き地がどんどん建売住宅に変わり、自由に遊べる場所が減ってしまったけれど。

 夏休みになると、家族みんなで海水浴やキャンプに行った。海水浴は、母ちゃんの実家がある静岡の用宗海岸だった。太平洋に面して遠く伊豆半島まで見え、キラキラと輝く太陽が眩しい海岸は、テトラポットの手前までが遊泳できるエリア。砂というより砂利が一面に敷きつめられた場所にマットを広げ、ビーチパラソルを立てて、その日陰にボクは母ちゃんと一緒に収まった。そこから眺めると、姉ちゃん、兄ちゃんが浮き輪につかまりながら、父ちゃんと一緒にきゃっきゃと歓声を上げて遊んでいるのがよく見えた。

 「ジークもおいでよ!」姉ちゃんに呼ばれて水辺までリードを引っ張られて日陰から出たまでは良かったんだけど、太陽の熱で暑くなった砂利でボクの肉球はあっちっち。思わずキャンキャンと得意の甲高い声で泣いたんだっけ。父ちゃんがボクを抱っこしてくれて、一緒に海にも入った。身体を支えてもらって、初めての犬かき泳法も試したみた。顔にかかった水をちょっと舐めてみたら、塩辛くてびっくりしたけどね。

 キャンプに行くときは、決まっていつも御殿場にあるキャンプ場だった。父ちゃんが運転する赤いフォルクスワーゲンのキャンピングカーに乗って、一緒にドライブしながら向かった。ボクが少し大きくなると、ボクの特等席は助手席。シートを回転させて背もたれを倒すと、ボクが腹這いになって前に寄りかかるのにちょうど良かった。その席に立って、エアコンの送風口から出てくるヒヤッとした空気を顔に浴びながら、景色がどんどん変わっていくのを眺めた。

 目的地のキャンプ場に到着すると、父ちゃんがクルマの横にタープを広げて日陰を作り、その下にテーブルとイスを並べ、ボク専用のイスもセッティングしてくれた。準備が整うまでの間は、姉ちゃんと兄ちゃんにリードを引っ張ってキャンプ場探検に。タヌキ出没注意!という看板があったので、ホントかな?と思っていたら、夜の間にテントの外に置いておいた姉ちゃんのクツが消えてなくなり、ずっと離れたところで見つかったけれど、それがタヌキの仕業たっとは。

 姉ちゃんが中学受験で忙しくなると、みんなで出かけることはすっかり減ってしまった。都内の中高一貫校に入り、剣道部で忙しくなった姉ちゃんは、もうほとんどボクにかまっていられなくなった。そうこうしている間に、今度は兄ちゃんも中学受験。部活はしていなかったけど、やっぱり忙しくて、結局、父ちゃんと母ちゃんと家の周りを散歩するくらいしかできなくなった。

 特別な場所に出かけなくても、自分で歩いて散歩に行けるだけでも楽しかった。だって、その後ずっと歳をとってからは、変形性脊椎症になって後ろ脚が麻痺してしまい、まっすぐ歩くこともできなくなったから。そうなってからでも、母ちゃんはいつもボクを抱っこして、外に連れ出してくれたんだけれど。

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