自身の快適性の追求によるネット上のソーシャルの分断は健全なのだろうか?

twitterなんかで「予防ブロック」なる、自身の周囲のソーシャルの快適性を追求するために行われるブロック行為なのですが、自分は「これってネット社会において健全な活動なのだろうか?」と割と思ったりします。

その上位版が「特定ユーザをフォローしているユーザをブロックする」という行為なのだと思いますが、こういうのって過度にネット上のソーシャルの分断を招くことにつながるんじゃないか、って気はしてます。

自分がたとえばtwitterの予防ブロックに関してもやもやした気持ちを抱くのは、発言が全ユーザに公知になる前提のサービスにおいて、自身の快適性の確保のために、他者に対してアクセス権をはく奪したり操作したりするブロックという行為をカジュアルに適用することに関しての問題なのです。

特定ユーザのフォロワーをブロックする、という行為に関しても、フォローというものがそのユーザの発言やユーザに対する支持を意味しているとは限らないので、その点においても無用のブロックを行うことになり、これはユーザによる他ユーザのアクセス権のはく奪なのだと考えております。

例えば、このユーザには自身の発言をどうしても見られたくない、だとか、このユーザからたびたび迷惑行為を被っている、ということが発生しているのであればブロックは使われるべきだとは考えますが、単に自身のTLに置きたくないユーザをミュートするなりフォロー外しすればいいのにブロックという行為で代替するのは別の問題を招くと考えております。例えば非友好的態度が表明される、という点などですね。

自身の周囲のソーシャルの快適性の追求のために例えばブロックを利用するようなことは、それ以上に周囲に強い作用を及ぼし、周辺の分断を進めてしまうことにつながるのではないか、とは考えているのですが、考えすぎでしょうかね…

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