【自己紹介】元ゲームプログラマ、Webエンジニアを目指す

XのTLで自己紹介しているnoteをいくつか拝見したので、私も便乗して自己紹介します!
前回記事の「2024年1月振り返り」でもいずれやるといっていたのもありますし、自己紹介させていただきます。


Who am I?

長野県は北信地方、山と森と熊に囲まれ生まれた田舎者です。
年齢は現時点はギリ20代、アラサーとも言う。

この間、色々書いていたのですがあまりに長くなったので消しました。
とりあえず完結にまとめると
・映像制作やゲーム制作に興味を持ち、そのあたりを学べるコンピュータ系の専門学校に進学。
・無事ゲーム会社へ就職するも、精神的に病んで退職
・転々としたあとだいぶ治った段階で母校に再就職したが、色々重なり悪化して退職。
・2年の就労不可を経て、主治医からOKをもらい就活に向け動き出す。

コンピュータ系の専門学校に進学

日本工学院とか県内の専門学校とか選択肢はありましたが、最終的にNCC新潟コンピュータ専門学校に進学しました。
正直、専門学校はよっぽどじゃなければどこでも入れると思っているので、モチベーションが同じ人を探す方が難しいかも知れません。
ただ私の代が就活していたときは、働き方改革がかなり本格化していたのか「残業」に対する風当たりが強く、残業できない分を人材確保で賄おうとしていたのかゲーム会社への就職率は特に高かったです。
私を含めて10人以上は就職できたんじゃないですかね。
あくまでもゲームプログラマ・ゲームプランナーとしての就職人数なのでグラフィッカーはわからないです。ただ1年に数人いるかいないかレベルのなかで10人はなかなかだったと思います。
とりわけ私は就活のために卒業する1年前から動き出していたこともあり、インターンで内々定を頂いて福岡のゲーム会社に就職しました。

ゲームプログラマから転落

ご存知ない方もいらっしゃると思うので解説すると、ゲーム会社は大きく分けてパブリッシャーとデベロッパーの2パターンあります。
ゲームを開発だけでなく販売もするのがパブリッシャー。大手パブリッシャーと呼ばれ有名なのが任天堂、スクエニ、カプコン、セガ、などなどです。
デベロッパーは主に開発専門と呼ばれており、販売より開発の比率が多い会社です。大手デベロッパーだと星のカービィを作ったHAL研究所、ドラゴンクエスト関連のゲーム開発に携わるトーセ、現在はパブリッシャーでもありますがレイトンシリーズを作っているレベルファイブは創業当初デベロッパーだったそうです。
私が就職したのは中小企業のデベロッパー会社です。福岡が本社で東京・京都にも支社がある中小と行っても人数の多い会社でした。
ただでさえ女性プログラマが圧倒的に少ない業界ながらに同期のプログラマが女性でテンション上がっていたのを覚えています。
早期インターンで秋からプロジェクトに参画。積極的に色々チャレンジしたかったので、2つ目のプロジェクトでは上司と一緒に取引先とのやりとりもしていました。このやりとりはメールで云々ではなく、プロジェクトの内容についてSlackでのものでした。
上司が別プロジェクトも抱えていて忙しかったのもあり、「お返事したほうがいいよな」と途中からほとんど私がやり取りしていたような気がします。そのおかげで色々学べたこともあり、上司からも感謝されたのは自分の中で成功体験です。
そんな中、いよいよ正社員となった春。定期イベントのごとく体調を崩す期間がありました。女性ならではの月一イベント、生理です。
もともと生理が重く、お腹も弱いのでバファリン必須な体質なのですが、それにしては妙に春から重くなったような気がします。
夏に検査したところ「卵巣腫瘍」と発覚し、しかもサイズが手術必須な11cm越えだったので手術計画を立てました。
きちんとした大人だったので上司たちと打ち合わせして、段取り決めて、よしじゃあその予定で…と、やっていたわけです。
ですが残念ながら進行の方が速く、捻転して「いっそ死にたい」と窓を睨みつけるような強い痛みの果て、緊急手術をしました。
術後は安定してから実家で療養し、緊急手術から1ヶ月少しで職場復帰しました。
問題はその後です。
「新卒で緊急手術、休暇中も大変良くしてもらった。いただいたご恩を還元しなければ」
その焦りが合ったのは事実です。今思うとそこまで必死にならなくてもちょっとずつレベルアップしていけばいいだけの話なんですよね。
職場環境が大変良く自分の提案が受け入れられやすかったこともあり、自分が提案したんだから熟さなければと無理をしていたのだと思います。
分からなかったなら聞けばよかったし、提案したけれど実装が難しければ上長に報告すればよかった。それだけのはなしです。
それが出来なかった結果、中学時代からの食欲不振が悪化、過敏性腸症候群の発症、突然眠れなくなり、しまいには思考が止まる。
不眠症と鬱病を発症してしまったのです。

転々、再就職、就労不可

発症から1年は職場の多大な配慮のもと頑張っていたつもりです。ですが回復の兆しが見えず1度療養に専念しようと決め退職しました。
その後、諸々の都合で静岡の姉の家に4ヶ月ほどコンビニバイトしながら滞在し実家に帰省。農業のバイトとまだ持っていなかった運転免許を取得し、そのころにはかなり回復していたと思います。
鬱病の怖いところは「回復したようにみえる」ことだなと痛感したのが、再就職したときでした。
こちらの事情を汲んでもらって再就職。知っている人がほとんどの中での仕事、楽しくできたらいいと思っていました。
しかし続いたのは1週間だけ、突然、ぷつりと糸が切れ、起きれなくなります。
そこから色々あり結局次の年度を向かえることなく退職しました。
精神科医の当たり外れで何もかも無気力になっていたとき、姉伝いに知り合った方からお医者さんをおすすめされ、1.5時間ほどかけて通院。
就労不可、と診断され最終的に障害者手帳の取得と障害年金を受給し始めました。

回復の兆しから活動再開

2年近く療養し、2023年の夏ころから症状が回復傾向にありました。
主治医から「就労継続支援A型か、障害者雇用から始めましょう」と就職へ第一歩進んだのが2023年の11月です。
とはいえ完全回復と大きな声では言えず、不安症状から外出で吐き気に襲われることが多いのが現状です。
そのとき思い出したのが2022年に症状が安定していた頃のことです。開業した姉がHP作りや運営に苦戦していたので代わりに作ったときに大変喜ばれました。元々趣味で個人サイトを運営していた経験が役に立ちました。
加えて2023年の夏に完全独学でPHP、JavaScript で作った身内向け小説投稿サイトの作成が楽しかったこと。使ってもらえて、感想をもらえて嬉しかった。
「誰かのためのサイトやサービスを作りたい」
この思いが原動力となり、Webエンジニアという職にたどり着きました。

RUNTEQへ入学

コーダーを目指すことも視野に入れましたが、デザインカンプをピクセルパーフェクトで起こすよりDBと連携したり動的なサイトをつくほうが楽しいと、サイト作りを通じて気づきました。
LaravelやRuby on Railsに興味があり、サイト作成のスクールではなくいわゆる「バックエンド」もやれるスクールを探すこと数日。
見つけたのがRUNTEQでした。
RUNTEQを選んだ理由は
・コミュニティが活発
・期間が9ヶ月
・綺麗事を言っていない
・Youtubeが活発に動いている
の4点でした。

コミュニティが活発

コミュニティが活発だと謳っている別のスクールでもXで検索したのですが、たった2件しかなくしかも随分前の投稿。
それに比べてRUNTEQはたくさんの投稿がでてくる上に投稿日時も新しい。全部追おうと思っていたのを諦めるレベルの投稿数でした。
そこから「コミュニティがガチで活発なんだな」と感触を得ました。
私が求めていたのは「コミュニティを利用して学習を継続する」ことだけではなく、「コミュニティを通してアウトプットや質問力を鍛える」「もっと外交的になる」ことでした。
RUNTEQのコミュニティの活発さに期待大だったのは言うまでもありません。

期間が9ヶ月

3ヶ月が多い中で時間が長く、その分じっくり学べる印象を持ちました。
次の就職でまた同じ轍を踏まないようにしたい思いが強く、焦りから急いで就職先を決めてしまうを防ぎたい気持ちが強かったです。
そのためにはなるべく長い期間、猶予を持ちたいと考えていました。
カリキュラムは働きながら学習する人も考慮されていることもあり、非常に信頼を持てたのも一つです。

綺麗事を言っていない

RUNTEQのサイトやYoutubeの中で「うちのスクールなら絶対にエンジニアになれますよ」とは見たことなかったです。目指せる、とあるとしてもです。
そしてなにより「1000時間の学習が必要」の言葉。
甘言もなく耳触りの良い言葉も並べず、淡々と事実を述べているような内容だったからこそ、このスクールは本気だと感想をいだきました。
他のRUNTEQ生で「RUNTEQを選んだ理由」にも上位にはいるんじゃないでしょうか、「綺麗事を言っていない」って。

YouTubeが活発に動いている

そもそもスクールでYouTube登録者数1万人超えって珍しいんじゃないですかね?
動画の投稿頻度の多さ、現実的な未経験からの厳しさ、それでも応援していることが伝わるコンテンツ内容。
すべてを見たわけではないのですが、更新頻度の高さと新しさから「化石化したスクール」ではないと感じました。

現在3ヶ月目に突入

RUNTEQを知ったのが2023/11/20あたり、そして同年12/2に入学してから3ヶ月目に突入しました。
元々プログラムで仕事していたこと、趣味でサイト運営周りをちょっと知っていたこと、C系言語はオブジェクト指向でRubyも通ずることがあったこと、HTMLやCSSの範囲は独学である程度知っていたこと。
一番は、プログラミングが楽しいこと。
それらが重なり意図せず猛スピードでカリキュラムを進めていて、現在RUNTEQ側が提示している理想ペースの5ヶ月目に突入してます。
2ヶ月分早く進んで余裕がある反面、「本当に身になっているのか」が不安になったので、ちょうどその時期にやっていたミニアプリweekというイベントに参加しました。
その時リリースしたのが「ひとときアルバム」です。

ミニアプリをリリース

ミニアプリweekで作成したユーザー投稿型サービス

※現在はサービスを停止しています。
こちらの「ひとときアルバム」はだいたい1週間程度で作ったアプリです。
こだわりやカリキュラム内容からのアレンジ、反省点はNotionにまとめているのでそちらで割愛します。

そして、興味ある分野としてReact、Next.jsのキャッチアップを開始し、こちらもまたミニアプリを作成しました。

こちらはサービス運営中で、アップデートしたりしなかったりしています。
こちらもどこかのタイミングでまとめを書こうと思っています。そのときはNotion以外にnoteなどにもアウトプットしたいです。
現在サービス停止中です。ご利用いただきありがとうございました!

現在

いまはカリキュラムをゆるくストップし(気分転換にやる予定)、チーム開発を始めました。
幸い、全員のモチベやチーム制作の着地点が一緒だったため楽しく進めています。
まだまだ始まったばかりですが、今月の目標が「チーム制作に専念する」ことなのでどんどん積極的に活動していく所存です。

将来的な目標

私はどうやら「多くの人に触ってほしい!」と抽象的なアプリより、「こういう人たちに使ってほしい」とターゲットをしっかり絞ったアプリ開発のほうが好きだなと感じています。
その中でも「求めてる人がいる」アプリ制作は特に心が踊ります。
なので就活の軸は「受託開発しているか」を主軸に探そうかなと考えているところです。
ただ前提として、治療中の身であることや出社が厳しい現状なので、フルリモ+障害者雇用で探す必要がある…となかなか就活の難易度が高いです。
その難易度を少しでも下げるために、現在はウォーキングで体力増加や体調を崩さないことを目指したり、テキストベースで円滑なコミュニケーションを図れるようにしたり、通話ができるときはなるべく通話するようにしたり、と小さい成功体験を積み重ねている最中です。
就活の本格化はもう少し先ですが、体調からメンタル面を安定化させながら技術力を付けていきます。

以上、長くなりましたが自己紹介とさせていただきます。
ご拝読いただきありがとうございました!

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