安倍支持派と安倍反対派は何が違う?

こんにちは。ツイッターでは安倍支持派と安倍反対派の対立はすごいようですねw
同じ日本人なのになぜこんなにも主張内容に違いが出るのか。分かりやすくまとめました。

違い①本質を見るのか表面だけみるのか

反対派は本質を問題にしますが、支持派は表面だけ見てよしとします。
例えば安倍政権が8年間も続いたことについて「8年間も続いたなんて安倍さんが素晴らしかった証拠だ」と言う声があります。
ちょっと待ってください、長期的に続いたのは素晴らしかったからだ、なんて論理は成立しませんよ。ここでのおかしな点は、結果だけを取り上げて全て良かったのだと強弁していることです。

それを言い出したら「ドーピングして金メダルを取った選手は最高のアスリートだ」ということになってしまいますよね。「金メダルを取ったんだから彼のトレーニング法は正しかったし、彼のコーチ陣は優秀だったのだ」なんてことになってしまいます。
もちろん違いますよね。彼は競技の過程でドーピングという規約違反を行ったのです。ルールを逸脱したというその1点において、彼の結果は全て否定されます。当然メダルも剥奪されます。それが彼に対する正しい評価です。

彼の疑惑を評価するにおいて「予選とタイムが違いすぎる」「本当に違反はなかったのか」と言っているのに「金メダルを取ったんだ、現実を受け入れろ」としか言わない人がいたら、その人こそ総合的な現実を受け入れない人ですよね。自分に都合のいい部分しか認めない。おそらく追求されたら不利益があるような、彼と利害関係にあるような人なのかもしれません。

政治評価の姿勢

政治を評価するにおいて、私達は総合的に評価しなければなりません。過程と結果のどちらも大事だからです。結果しか見ないなら評価はただの結果論になってしまい、安定的で永続性のある国家運営はできなくなってしまいます。
更に結果ばかり強調するなら、ドーピングをするような法律違反をするような人間が最も恩恵を被ることになってしまいます。一時的に結果を出すだけなら、悪質な手段に手を染めることが最も手っ取り早いからです。
もしも結果を主張するならば、その過程は必ず潔白で違法性の無いものでなければなりません。

これはSNSを見ていても顕著で、ジャーナリストは大体反対派になっています。ジャーナリストとは真実を追究する人達なので、安倍政権について情報を追っていくと不適切な実態がボロボロ出てくるということなのでしょう。
(逆に安倍政権の素晴らしさを発掘しているジャーナリストがいましたら教えてください。)

検察庁法改正案や森友加計問題のような、法律違反・憲法違反ではないのかといった本質の議論にまで踏み込む人と、「うるさいことを言うな、結果を出してるから正しいだろ」と言って問題の本質に踏み込ませない人、それが安倍政権に対する評価の分かれ目になっているように思います。

違い②長期的に見るのか目先だけみるのか

こちらも先ほどと似た内容です。反対派の人は例えば公文書改ざんのような問題を大きく取り上げます。「法治国家ではなくなるではないか、こんなことが許されるならこれからどうなってしまうのか」と。それは未来への危機感です。国家運営を真剣に考えるような人が持つ意識です。

それに対して本人達は今の保身しか考えません。「改ざんして今捕まることがないならそれでオッケーだし、公文書も破棄して証拠が無くなるならそれでよい」と考え破棄します。反対派の人達とは価値観や意識が大きく違うのです(法律違反ならば価値観とかの問題では無いのですが・・)。

更に支持派の人達も「今株価が上がってるんだから(金融緩和ドーピングですが)邪魔をするな」「オリンピック利権や業務委託中抜き利権が美味しいんだから邪魔をするな」と目先のことしか考えていません。
金融緩和の出口など決して語らない(実際は語れない)ですし、オリンピック後の日本について語っている人など誰もいません。とても異様な状況だと思います。
彼らはオリンピック後に日本がどれだけ衰退しようが、金融緩和の負担を押し付けることになろうがどうでもよいのです。「今」自分が利益を得られるなら、後の社会や人々にどんな負担や爆弾を残すことになろうがどうでもよいのです。

長期的に見て健全な国家運営を目指す人達と、目先の利益さえ得られればいい、そこに自分さえ便乗できればいいという人達、その展望の違いが安倍政権に対する評価の分かれ目になっているように思います。

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