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プロローグ

2022年4月。
学校事務をやめて、2年が過ぎました。

18歳の春、私が職業として選んだのは学校事務でした。
もともと教員志望だったため、仕事を始めた頃は「やっぱり教員になりたい」と先生方をうらやましく思ったこともありました。しかし、仕事を続けていくうちに、学校事務は私にとても適した仕事であることに気づきました。

学校の主役は子どもたちです。その主役である子どもたちの学びを支えるために、教員がいて様々な環境があります。
学校事務は、その主役である子どもたちと、主役を取り巻く人とモノを支える存在です。日々の学習が滞りなくできる、地域や保護者を含めた学校に関わる人々がつながる、 そんな場面で潤滑油のような働きをするのが学校事務です。
表舞台に出てくることはないけれども、学校事務がいてこそ成り立つ場面が学校の内外に多々あると思っています。

その「縁の下の力持ち」と例えられるような仕事が私にはとても向いていました。
表に立つよりは、その表に立つ人を支えることが好きでした。表舞台から一歩下がったところで自分の持てるエネルギーを注ぐことに喜びを感じる自分がいました。
仕事をやめたとき、私は「学校事務は私の天職」だと思いました。そう思ってやめることができた私は、本当に幸せだったと思っています。

そんな天職に思う仕事を、私は2年前に早期退職しました。
なぜやめるのか。その理由を多くの人に聞かれました。その都度、私は「学校事務をやり切ったから」と答えていました。それほどに、最後の勤務校では自分のすべてを出し切って、これ以上ないというくらいに仕事をしました。その毎日はとても充実していて、だからこそ私は心の底から「やり切った」と自負を持つことができたのでした。

さらにもうひとつ、早期退職した理由があります。
高校を卒業してから38年間、私は多くの時間を学校というひとつの社会の中で過ごしてきました。昭和、平成、令和と時代が変わり、自分自身も年齢を重ね衰えを自覚する中で、私は少しずつ「このままずっと居心地のいい場所で過ごし続けていいのだろうか、この場所だけで自分自身のプロセスを終えていいのだろうか」と感じるようになりました。
そして、学校というコミュニティから一歩踏み出し、広がりを持った世界とつながりながら未知の領域についての学びを深めたいと考えるようになりました。自分の内面からふつふつと湧き上がってくる知的好奇心を抑えることができなくなった私は、仕事を離れた先の不安を吹っ切り、知ることのなかった大学の学びの世界へ飛び込むことにしたのでした。

2020年4月。
私は通信教育課程の大学生になりました。
そこで私を待っていたのは、どこまでも深い底なし沼のような学びの世界でした。刺激と興奮と感動に満ちあふれ、自ら求める学びの楽しさを知った私は、現在進行中で学修と向き合う日々を過ごしています。

そして今-。
私は「これからの子どもたちの主体的な学びを支えたい」という気持ちを強く持っています。
この気持ちの底にあるのは、学校事務時代の経験であり、大学での学びの蓄積です。さらにそこには、そのふたつがリンクするからこそ見えてくる、得られる世界があると思っています。
子ども自らが持つ能動的なエネルギーを失うことなく成長し続けて欲しい。自己肯定感を高める経験を積み重ねて自らの未来を自ら切り開いて欲しい。そのために今の私ができることは何だろう。考え、試行し、私自身も主体的に前を向いて歩いていきたいと思います。


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