「目覚めた」といってはしゃぎまわっている人よりも、目覚めるどころか厳寒の中、早朝から無言で牛の世話をしているような貧しい村の娘を支持したい。どんな碩学よりも、無知だが美しいものを前に静かに涙を流しているような人を信じたい。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。