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『恐怖の報酬』と『続・荒野の用心棒』 ~マリオとドラクエ

※ネタバレあり

♪テレッテッテレ  テッ  テ

 ある映画をみました。帽子、鼻ヒゲ、サスペンダー、中年太りのイタリア人・ルイージが、マリオといっしょに、ひたすら駆ける作品です。スーパーマリ・・『恐怖の報酬』(1953)。

「美しい連携だったな」

 「ピーチ姫をすくえ」・・じゃあなく、「人気者の兄を殺れ」・・でもなく、「ニトロを300km運べ」ってデスゲーム。コンセプトだけで燃えます。しかも、つくりがうまいんです。たとえば、ヘタレのジョーは「音楽がきらい」。

・音楽を流すかどうか、ケンカする
・力の抜ける、音痴な鼻歌をうなる。直後、前の車がどかーん
・映画のBGMもない。からの大音量クライマックス

 キャラ、演技、演出から、設定、プロット、緩急、ドラマまで、有機的に連携してるんだなあ。まるでケンカ、仲なおり、仲間割れをくりかえしながら、報酬をもとめて突撃しつづける主人公たちのよう。わたしたちだって、そうかも。

キラークイーン『第3の爆弾』 バイツァダスト(負けて死ね)

 メタファーもキマってます。たとえば炎。たばこ、葉巻、太陽の熱、銃、油田の火災、ニトロの爆発と展開し、安息と暴力のかたちをしめします。爆心地に連れションかけて鎮めてみたりもするけれど、たばこを巻こうとすると、葉がふっとび、遅れて爆音、閃光、みやれば煙。視界の外で、どうしょうもなく、わたしたちのたいせつなものが焼かれてゆく。みえないと、煽られるし、想像ブーストされるしね。この映画では、労働事故も、自殺も、運転手の1人が「辞退」するのも、ジョーが足場から落ちるのも、轢かれた瞬間の足も、ルイージが爆破に巻かれるのも、直接は映りません。

最高に「塵肺!」ってやつだアアアアアアハハハハハハハハハハ―ッ

 メタファーといえば、連れションも。ちんこから何か出しながら、同性愛的かんけいをたしかめてるのかな。ルイージは、マリオのご飯をつくり、洗濯してました。
 ところでわたしは、ルイージが、決死のビンバに帽子をあげて敬意を表し、そそくさと立ち去るシーンが、たまんなく好きです。胸いっぱいで、たえられなくて、むしろ雑になっちゃったんだよね、ルイージ。チリいっぱいの肺で、死にそうなのはきみなのに。

飾り立てた骸骨とラスト・ダンスを(THE YELLOW MONKEY「真珠色の革命時代」)

 さいごのメタファーは、死の舞踏(ダンス・マカブル)。わたしたちの生涯は、いわば一夜のダンス。「恐怖の報酬」の恐怖は、爆死する恐怖だけじゃあなかった。生きづらさの恐怖、報酬に狂うエゴの恐怖、エゴな他者たちっていう恐怖もです。せいいっぱい寄り添ったりもするけれど、「恐怖の報酬」は死。リターン(帰り道)はありませんでした。

『恐怖の報酬 オリジナル完全版』(1977, 2013)

 『恐怖の報酬』は、1977年、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のフリードキン監督によって、リメイクされました。2013年にはその「オリジナル完全版」が公開されています。町、炎、雨風、泥、吊橋、車が、怪物化して、生々しく迫る。それを、ドライに撮る。
 旧作のはぐれ者のひとりは、ナチスから生きのびたユダヤ人でした。リメイク版では、ナチスの残党を狩る殺し屋と、パレスチナ人にかわっています。

前半闇金ウシジマくん、後半カイジ
       ~「魂のアソコさそり監督」さんのツイッター

 それや!(笑)

♪テレレレッレッテッテー(レベルアップ)

 『恐怖の報酬』は、死と旅をする映画です。といえば、アレを思い出しますね。棺桶をひきずって広野をゆく、ドラゴンクエ・・『続・荒野の用心棒』(1966)を。

くさったしたいが あらわれた!

棺桶にだれか入ってるのか?
ジャンゴってやつさ

 『続・荒野の用心棒』のジャンゴのひきずる棺桶には、じぶんの死体が入ってるんだって。たいせつなものを失って、ひきずって、死体のはうように泥を泳いでる。じっさいに棺桶に入ってるのは、機関銃や黄金です。つまりかれは、暴力と金銭欲からできてる死体なのです。
 けれども、黄金をつめた棺桶は、底なし沼にのまれ、恋人も撃たれ、銃をにぎる両手まで破壊されちゃう。死体になりながらかきあつめた戦利品を、頂点で、すべて失う。そういえば、冒頭ではおっていた北軍の制服も、帽子も荷物もいつしかなくしていました。暴力と黄金を抱えたままでは、底なし沼の向こう岸をつかむことはできなかった。
 ところが死体は、すべて失うことで、かえって墓からよみがえることになる。囚われたじぶんもしずめることができたから。かれは、元カノのねむる墓場に銃を置いて、歩きだしました。

しんでしまうとは なさけない… そなたに もういちど きかいを あたえよう

 そういえばかれは、何度も仇を逃していました。棺桶とむきあうことなく仇を討っても、橋をわたれないとわかっていた、むしろ、仇にすがっていたまであるかもしれません。
 あるある・・。ひどく傷つけたり、やるべきことをみにくくミスって、とりもどそうとして、いっそう悪くなって・・。
 そんな黒歴史を、アホかってくらい盛ったら、『続・荒野の用心棒』になるでしょう(笑)

マリオとゆうしゃ

 『恐怖の報酬』ことマリオは、邪魔をふみつけ、ファイヤーで燃やし、前へ前へ駆ける。けれど非情なギミックに、1機づつ確殺されてゆき、穴に落ちてテッテッテ  テレレ  テレレ  テレレ~(ゲームオーバー)。
 『続・荒野の用心棒』ことドラクエゆうしゃは、目的をわすれ、おつかいに一生懸命。なにをしたいのか、わかんなくなってる。わかんなくなってることも、わかんなくなってる。この文章もどこにいくの。ぜんぜんわかんない(笑) まあ、思いがけないものが重なってくのが、ことばの醍醐味だよね。無理に続けちゃう(笑)
 マリオは希望をだきしめて、走りつづけた。ゆうしゃは、希望から逃げつづけた。マリオでは、どうしょうもない暴力が、たいせつなものを奪ってゆく。ゆうしゃは、どうしょうもない暴力と化す。
 マリオの後日談がゆうしゃで、ゆうしゃの後日談がマリオにみえてきました。つっぱしってころんで、たちあがってはつっぱしって。まっすぐ、丁寧に立ち向かえるモードもあれば、失敗して、だらだらやり過ごすモードもあるってこと? たしかに、ひどいことに目をつむって台無しにするときも、休めたり、気づけたってときもある。あれこれ思い出すね。
 現実ってクソゲー。ゲームバランスは理不尽だし、初期スペックで決まりすぎ。けれど、ファイヤー、連れション、おつかいって気晴らしもある。現実のような、『恐怖の報酬』、『続・荒野の用心棒』、マリオ、ドラクエはどうだったっけ。ああ、そうか、愉快じゃん

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