動物として退化させない

現代生活を生きる人たちは「人間としては進化してても、動物としては退化している」だろう。便利と引き換えに動物としての強さを失いつつある。

「使わないものは衰える」という生物としての原理原則がある。ココには抗えない。昔は不便で必要だったことが便利になったことで不要となった。

最近は体幹トレーニングに取り組んでいるからか、ソファに座っていると体幹を全く必要としてないことに凄く違和感を覚える。

楽なのだが身体としては良くないなぁと座りながら認識できるようになってきた。問題は便利が当たり前になってしまい普段どれだけ楽な環境に生きているか認識できなくなっていることだ。認識できないことは改善着手できないのだから、弱くなる一方。

だから僕は駅でもエスカレータではなく階段を使うし、エスカレータに並んでまで使う人を見て「あぁこの人たちは動物としては弱くなる選択をしているなぁ」と勝手に心の中でマウントをとっている。(器の小さな男)

もちもん不便を取り除くことが商業的な価値の1つなので仕方ない。Amazonで何でも購入できるし、自転車での移動だって電動自転車による補助がある。もちろん上手く取り入れることで快適には生活できる。僕も活用できるところは活用しまくっている。

だが便利におんぶに抱っこで動物的には弱くなる一方だ。短期的には便利で幸福度が上がったとしても人生トータルで見ると幸福の総量は下がる可能性だって秘めていることを忘れてはならない。

道具がなくともプランクなどで脳と身体に刺激を与えることはできる。自分の意識次第だ。

「動物としての強いかどうか」は仕事の文脈でもパフォーマンスを左右すると本気で信じているし、やはり健康で体力がある人間の方が強い。

そんなこんなでMerrel vapor glove 6 を購入してみた。機能性を削ぎ落としたベアフットシューズ。シューズに機能性がないことで身体が働かなければならない。

機能性が高いシューズを履いていると、身体が怠ける。そうなると人間としてタイムは上がっていても動物としては弱くなっている可能性がある。

ベアフットシューズはベアフットで走ることに慣れるのではなく、短い時間で脳と身体に刺激を与える目的だ。一度機能性を失ってみることで「普段どれだけ楽な環境(シューズ)で走れているか」のありがたみが再認識できる。

普段リモートワークだとリモートが当たり前になって、リモートのありがたみを忘れがち。たまに通勤してみるとリモートのありがたみを再認識できるのと同じだ。

サウナも同じかもしれない。普段、冷暖房で管理された環境に生きていると体温調節機能が錆びてくる。サウナに行ってみると、身体の機能に訴えかけるので錆落としができる。人間本来の機能を蘇らせる効果がある。

普段、思っている以上に便利な環境に生きており、意識して抗わないと動物としては弱くなるということはいま一度再認識しておきたい。



今週は実家に帰って今日朝からペース走。雨予報だったが幸運にも晴れ間が見えてさっそく近所の公園へ。

ここは僕がマラソンにハマってからずっと走ってた原点のコース。

1周1.6キロで信号もない公園内のコース。田舎なので人も少ないのでストレスなく走れる。10キロでジャスト39:00。40分で10.25キロ。心拍数は174が最大。

最大心拍数の94.1%なので無酸素運動の領域で時間を積めた。筋肉というやり内側の心肺機能を高めるトレーニングの位置付け。心拍数を追い込むトレーニングを終えた瞬間の解放感は生きている実感そのもの。

動物としての強さ、死ぬまでのテーマだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?