満足度=限界効用の総量

回転寿司のシステムが苦手かもしれないという話。

この記事を書いていて、自分自身で「器の小さい人間だなぁ」と何度も思い筆を置きかけた。

年に1回程度だが、回転寿司を食べる機会がある。回転寿司に行くたびに「このシステム苦手かも」と思ってしまう。その理由について自分の器の小ささと向き合いながら書いていく。

先日、お台場でシルクドソレイユの公演を観たあとに豊洲の回転寿司に寄った。

結論、ごくごく普通の回転寿司で、お醤油などにも特にこだわりを感じなかったのでミスチョイスだったのかもしれない。

豊洲市場で降りてお寿司を食べればよかったと反省。「市場で降りて何もなかったらどうしよう」の損失回避の心理が働いてしまった。

その回転寿司は1枚◯◯円という一律料金のシステムではなく、130円〜680円までの振れ幅でお皿の価格が決められていた。回転寿司だと選択権がこちら側にある。

僕は普通の光物やイカなどが大好き。つまり最安値近辺にカテゴライズされる。今回だと130-180円くらいの価格帯。

それをせっせか食べている。家族で行ったので、目の前の奥さんは330円以上のネタを選んでいる。

このコントラストにより「コイツ意図的に安い価格帯のものを選んでいるな」と捉えられても不思議ではなかった。

つまり「この人ケチだな」と思われつつ食べているのだ。いやいや違う、僕が好きなネタはこの価格帯にある。だが、年1回行くか行かないかなので、そのデータが保持されていないのだ。

平常心で食べれないので、やはり僕の好みと回転寿司との相性が良くないらしい。

あとは従量課金制。1枚お皿を取るたびに課金されている感覚が苦手。

同じ3,000円の予算でお寿司を食べるとしても、回転寿司で従量課金で積み上げられた3,000円と、ネタ数があらかじめ決められている上での3,000円のパッケージでは心理的に負うダメージの回数が違う。

自分が商品やサービスを提供する側だとしても支払い回数は減らす設計にした方がいいんだなぁと感じた。

金額が確定した上で食べるのと、食べるたびに金額が加算されていくのでは先を気にしつつ食べなければならない。

あとは無制限にお皿を取れてしまうシステム。僕は食べ放題は満足度を下げるシステムだと思っていて、どれだけ食べれたかより「食べれなかったもの」の方に意識が向いてしまい少し損した感覚になってしまう。

回転寿司もお金さえ払えば無限に注文できるシステムなので、食べ放題と似た感覚になる。

それならネタが最初12貫だけなど、残りの数が可視化された状態で食べる方が、1貫1貫を大事に味わって食べる。

つまり残り3貫しかない状態と無限に食べれる状態では1貫の限界効用が全く変わってくるのだ。

「満足度は限界効用の総量」なので、食べ放題は限界効用がめちゃくちゃ小さい状態で量だけ重ねているということ。

だから心理的な満足度が低いし、損失回避の真理もあるので往復ビンタで満足度が高まらないのだ。

飲み放題も同じで、飲んだ方が得だからと思ってガブガブ飲むのと、目の前の1杯を大事に味わって飲むのでは限界効用が変わる。

飲み放題だと1杯をどうしても雑に飲んでしまう。限界効用が小さい状態で杯を重ねてしまう。つまり心理的な満足度が高まっていかないのだ。

「残りの量が可視化されることで、残りの単位あたりの価値が高まる」というのはあると思う。

もし余命宣告され、残りの人生の時間が可視化されたとしたら、それまでの1分間とそれ以降のの1分間の価値が明らかに変わってくる。

無限に取れる回転寿司よりも、3皿までしか取れませんの回転寿司の方が心理的な満足度が高まるのではないか。

限界効用を高めるには、それには残りの量を可視化しておくこと。それができない回転寿司というシステムは苦手だなぁと感じた。

ただ、食べ放題や飲み放題も、心理的な満足度という心理面ではあまり賢い選択ではないという気づきも得られたので学びはあった時間。

満足度は限界効用の総量という点を意識しつつ、今後は量から質に切り替えていくことにする。

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