Noteを投稿する価値

個人的なNoteの価値を書いてみる。あくまで個人の解釈なので他のユーザーは別の価値を持っているという前提だ。

結論から。僕にとってのNoteを端的に表現すると「体験の編集ツール」だ。体験を言語化(編集)して、経験に昇華させる手段。

体験をいつでも取り出せるようにデータベース(脳)に整理しておく。データクレンジングをしておく。

脳内検索をかけた際にすぐにヒットできる状態にしておく。こうすると話が上手くなる副次効果もある。

話の上手いは以下の2種類ある。
1.組み立てる能力が高い
2.デリバリ速度が速い

多くの人がイメージするのは1の組み立てる能力ではないか。これは話の文脈の中で情報を組み立て、届ける話をその場で構築していく力だ。飲食店でお客さんとの会話から食べたいものを推測し提供する。

一方、デリバリ速度については既に組み立てられた話を文脈に応じて取り出し、届ける力。飲食店でランチのピークタイムを捌くためにあらかじめ仕込みをしておいて盛り付けして提供するようなイメージ。

前者の方が難易度が高い。後者の方が結果が出やすく先に高めておくのが賢明。そのための手段がNoteとなる。

編集素材については体験(一次情報)の方が二次情報よりも鮮度や味が高いので編集する価値が高い。もちろん二次情報を一気に食べたい人向けにコース料理を提供する価値はある。

ただ、体験価値の向上という観点からだとやはり一次情報を編集しておく方がよりNoteを書く価値が高まるのではないか。

つまりROIを高める。言語化(編集)するプロセスで、自分がその体験から何を感じて、何に気づいたのか振り返る必要がある。

この振り返りを行うことで体験から得られる情報量が格段に増える。振り返らないとスルーしてしまうことが想像以上に大きい。つまりコストに対する獲得情報量が下がりROIが落ちる。

ただ、言語化を行おうとすると否が応でも過去に遡り感じたことや気づきを思い出す必要が出てくる。試験に申し込むことで、普段触れないような情報にまでリーチすることができるようなイメージだ。前提として誰かに伝えようとして書いているわけではない。

それなら自分向けのクローズドのアカウントを持てば良いと言われそうだが、他者に見られる可能性のある場に投稿する若干の緊張感が言語化の質を高めてくれるのはある。だからNoteに閲覧制限をかけずに投稿する。

振り返り言語化していく中で、自分の中で曖昧にしていたことに暫定解を出す必要も出てくる。価値基準が定まってくる。反省点や改善点にも向き合う必要が出てくるので次回以降の体験にも活かせる。

結局は僕にとってのNoteは「内省の時間を確保するための手段」だ。文章を書くこと自体が楽しいのはあるが、内省としての価値を感じているから継続できているのはあると思う。

日々仕事や育児に追われているとなかなか自分の体験を振り返る時間が捻出できない。そうなると体験から得られる価値をスルーして取りこぼしが多い状況下で生きている感覚がして、ROIが低く非常にもったいなく感じている。

言語化しないと価値観や思考がアップデートされにくいと感じる。まだまだ人生気づけてないことだらけなので金脈を掘り当てるための採掘ツールがNoteなのかもしれない。

最近はめっきり投稿頻度が落ちてしまっているが、種火は消さず継続していきたい。

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