20年後のタイムマシン思考

もし(if)、の威力って人間ならではの思考ツールだよなぁと感じた話。その使い方次第では人生のQOLを大きく左右するツールだ。

僕が親に会うのは年に3-4回。日数に変換したら10日ほどだろう。父親は今年で70歳になる。母親も63歳になる。あと何回ほど両親に会えるのだろう。

今のペースだと日数にすると200日くらいかな。日数にすると半年ちょっと。ただ24時間ずっと一緒にいるわけではないので、その1/3くらいか。

そうなると1日1日、1回1回の時間を大切にしなくてはならないと感じる。

子供も同じ。

今は1歳9ヶ月なので大学に行くとしたら20年くらいで独立する。社会人になるといまの自分くらいのペースでしか会えなくなる前提でいた方が良いだろう。

となると子供と過ごせる時間も限られている。いつか会えなくなるのは確定している未来だ。今は横でスヤスヤ気持ち良さそうに寝ている。だけど、近い未来には巣立ってしまう。

自立して生きていけるようにすること。それが親としての使命なので、それは喜ばしいこと。だが寂しい想いもあるだろう。

そんなことを考えていると保険会社のサイトで一緒にいられる時間を計算できる機能を見つけた。

試しにやってみる。いくつかの質問に答えるとその人と過ごせる残りの時間が算出される。

一緒にいる時間といっても同じ空間にいるだけの時間はカウントしない。同じ空間にいてもそれぞのスマホの世界にいるのは厳密には一緒にいない。

有名な話だが、ダルビッシュが20歳だった頃、先発したヤクルト戦でKOされた。

その日宿舎に帰ってから「この20年間はあっという間だった。これからの20年間もあっという間だろう。40歳になって野球を首になったとして、神様に頼んでもう一度20歳に戻してもらったと仮定して行動する」ことに決めたと話していたインタビューがあった。

これは子育てにも当てはまる。子供が夜泣きしていたとしても「20年後に自分の元から離れてしまった子供がいて、神様に頼んでもう一度この日に戻してくれたと仮定する」とその鳴き声も愛おしく感じられる。

これもifの使い方。子供が自分の元から独立して離れるのは確定した未来ではあるので、この日は確実に1日1日やってくる。

緊急度が低いのでついつい他の予定を優先したくなることもあるが、親や子供と過ごせる時間は1日1日少なくなっている。ただ、健康と同じでなくなって初めてその大事さに本当の意味で気づけるカテゴリではあると思う。意識だけは高めておきたい。

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