ニーズを削ぎ落とした先に残るのが純度かもしれない
福一という伊香保にある温泉旅館の日帰り入浴に行ってきた。
黄金の湯、白銀の湯で有名。白銀の湯は透明なのだが黄金の湯の対としてのネーミングだろう。黄金、白銀と聞くとそれだけで価値が高く感じる不思議。
家族と一緒だったので、サウナ目的ではなかった。なので、サウナがあるのが知らなかった。水風呂はない。さてこの条件下でどう自分を調理しようか。
サウナは6人くらいのキャパの小さめ。温泉旅館ではスタンダードなサイズ。時間は土曜の16:00誰も入ってない。
入ったときに感じた。「純度の高いサウナ」と。
これは入ってみないことには伝わらないが、純度が高い。サイズ感しかり、綺麗過ぎず、かといって汚くない、ちょうど良い。
純度を言語化すると「必要以上にユーザーのニーズに応えようとしていないので商業感がない」ということかもしれない。ユーザーのニーズを良い意味で置いてけぼりにしている。
この手のサウナでありがちな湿度の低さも感じず、意外と心地よい。テレビもないのが素敵。
本来、サウナはユーザーのニーズに応えのうとしていなかったと思う。だけど最近のサウナはユーザーのニーズドリブンで設計されているので、少し押し付けがましく感じることも正直ある。
そんなことを考えていると、しっかり温まってきた。さてこれから自分をどう調理しようか。
水風呂がないときの対処法はこの前の白馬で学んでいる。水シャワーだ。見立てでは伊香保の水シャワーは冷たい。
しゃわわわわ。
冷たい。見立て通りだ。しかも水質が良い。水が柔らかいのだ。山で囲まれたエリアなので水質が良い。
定住するなら「水が美味しい場所」。これは優先順位としては一番高い。
外気浴スペースは2脚。山を見ながら気持ちが良い。
今回のような日帰り入浴って必要最小限で個人的に好きだなぁと感じた。14-17時までで2,000円。宿泊するとこれが10倍以上になる。
父親とスマホもテレビもない環境で会話する時間って意外にない。だから滞在時間が1時間だったとしてもこういうお金の使い方って良い使い方だと思った。
温泉宿だと必要以上の食事が出てきたり、必要以上の部屋の広さなど、必要以上にお金を払っている感覚がしてしまう。(器の小さい男)
普段からサウナ目的でカプセルホテルに宿泊するのが好きなので、その必要最小限感が基準になってしまっているのかもしれない。
贅沢は以下の条件で作られる。
1.必要以上
2.再利用不可
自分一人の場合に、贅沢を選ぶことはない。誰かが一緒にいて自分がお金を払うことで自分にポイントが入る場面においては積極的に選択する。(器の小さい男)
贅沢を感じなくとも、僕は幸福感を得られる。自分の状態を調整することで、些細なことにも幸福を感じられる。目の前のコカコーラを世界一美味しくしてくださいとなったらその方法を知っている。
最後は話が逸れたが、福一で予期せぬ気持ち良い時間を過ごせた。
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