"履き分け"の意識を高めてみる

多くの人は歩くことに無頓着。誰でもできる行為であるのだけれど、誰も歩くことに対して意識がなく単に楽なように歩いている。

だから変な癖がついてしまったり、あるいは高機能なシューズに頼って身体側を怠けさせてしまっていることも多々ある。

歩くことを改善できれば1日1万回の行為を改善できるので"チリツモインパクト"は文字通り測り知れない。

何も考えずいつも同じシューズを履き続けることに違和感を覚えてきた。移動という目的だけでなく、普段の生活からトレーニングやリカバリも兼ねた方が良いのではないかと思う。

まずは履き分けてみる。いつも同じシューズというより、目的に応じて履き分けること。

サンダルもゼロドロップのベアフットに近いルナサンダルのような形を選ぶのか。リカバリサンダルを選ぶのか、その目的での最適解が変わってくる。

機能性の高いシューズばかり履いていると、身体の機能がサボる。自分が頑張らなくても良いから。そうすると脳は使われない=不要な機能と判断して削ぎ落とす。生きるために必要なこと(よく使われること)しか残さないから。

たまには脳と身体に刺激を与えるためにベアフット(ゼロドロップ)のシューズやサンダルを履いてみる。シューズ側に機能性がないから身体側の頑張りを引き出すためだ。身体側に自分たちが頑張らないと歩けないと思ってもらうこと。それにはシューズからのインプットを減らすこと。

リカバリサンダルは機能性の高い設計なので「自分たちが頑張るから身体側は頑張らなくていいよ」のシューズとなる。となると普段から履き慣れてしまうと身体が怠けることを定常化させてしまうので注意が必要だ。

この理論でランニングでも数よりも種類を増やして、毎回履き分けることで脳と身体を慣れさせない。適応と順化のプロセスで成長するので、その適応と順化を毎回引き出すのが目的だ。

ランニングとなると認知動作型のスポーツではないので、慣れてない状況下で適応と順化を意識的に引き起こさないとすぐに成長は鈍化する。

よく言われることだが持続的な成長曲線を描くには変化が必要不可欠なスパイスとなる。トレーニング内容もそうだが、まずはシューズの履き分けから。

それにしても買い物は疲れる。疲れるのは移動ではなく頭の方。様々な要素を包括的に判断して選択を迫られる。あとは時間も取られる。これはキツい。

買い物をしても自分の能力は1ミリも高まっていないので、できれば生活から排除したい。スーパーなどの買い物は家族とのコミュニケーションも兼ねているので良いが、服や靴を買うとなるとそうではない。

できれば買い物から遠い人生を歩みたい。そこで使う時間を大事な人とのコミュニケーションや本や映画からのインプットに使った方が豊かな人生を送れる。

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