おじいちゃん

こんなことを書くのは不謹慎かもしれない。
でも、今の私の気持ちをここに殴り書かなければ私はたぶん、壊れる。

私のおじいちゃんが、昨日の夜亡くなったらしい。
がんである。ずっと闘病していたらしい。らしい、というのは、家庭の事情があり、私は数年おじいちゃんと会えていなかったからである。それでも私は数週間前、数年ぶりにおじいちゃんに会った。

数年ぶりに会った生きているおじいちゃんの姿に、私は衝撃を受けた。身体は痩せ細り、話しかけても目は合わず、口をしきりむごむごとさせ、身体は痙攣していた。普段准看護師をしている母(おじいちゃんの実娘)は看護師のように振る舞っていた。まるで私達に母が悲しむ場面を見せてはならないと強く心に決めているようだった。

変わり果てていたおじいちゃん。数年会えていなかったおじいちゃん。目の前にいるそのおじいちゃんは本当は違う人なんじゃないかと思っても仕方ないくらいだったけれど、時折おじいちゃんの口から発せられる言葉にはならない声が、確かに、あの、おじいちゃんだった。

ここ数年家庭の事情で会えず、おじいちゃんへの不信感を少し募らせていた私の頭に、昔、おじいちゃんがどんなふうに喋っていたかとか、おじいちゃんと畑へ行ったこととか、夜ご飯の時になると当時の私には分からないような話を延々としていたこととかなんかいっぱい、浮かんできた。私はおじいちゃんに愛されていたし、おじいちゃんのことが好きだった。

そのおじいちゃんが亡くなった。

おじいちゃんのからだは、私の誕生日に焼かれてしまうことが決まった。

そして私は、その家庭の事情とやらでおじいちゃんの葬儀には行けない。それでも私は自らの誕生日は祝うだろう。どんな気持ちで私の22歳を喜んだらいいかわからないけど、たぶん、祝うのだろう。

おじいちゃん、それは私が生まれた日だよ。
おじいちゃん、初孫である私が生まれた日だよ。
おじいちゃん、あなたは、あなたがもうだめかもしれないと連絡がきて会いに行ってから、随分頑張ったよ。きっと苦しんで苦しんで苦しんだのだと思う。今はゆっくり休んでほしい。けど、死ぬタイミングがちがうよおじいちゃん。ワガママな孫でごめんね。でもねおじいちゃん私は今、生きるのがつらい。すごくすごく、つらい。未来がみえなくて、何も進んでいる気がしなくて、自分が無力に思えて、そしてあなたはいなくなった。

おじいちゃん、私が生まれた日に向こうに行ってしまうなら、その日に生まれた私を、どうか守ってほしい。ちゃんと未来に進めるように見守っててほしい。

よろしくね、おじいちゃん。
私を愛してくれてありがとう。