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初!Noteです。みなさま、初めまして!

みなさん、はじめまして。
tontiと申します。
本日よりno+eを始めてみました。ご覧いただいたみなさん、ありがとうございます!
普段は、デザインエンジニアという肩書きで、企業が製品を開発し市場に売り出していくプロセス全般の支援を仕事にしております。
一応経営者なので、ブログやSNS、Youtubeで情報発信をしておりますが、
会社色がどうしても強くなる傾向は避けられず、このnoteでは個人色が強い投稿にして行きたいと思っています。よろしくお付き合いくださいませ。



自己紹介

バスケと宇宙戦艦ヤマトに明け暮れた少年時代

単純に「女の子にモテたい!」と小学高学年頃から野球とバスケットを両立。割と暇が苦手な性格で充実していましたが、女の子にはモテなかったですね。🤣
中学になっても女の子にモテたい欲求は止まらず友達から「バスケは背が高くなる」という噂を聞き、バスケットに集中!それでも女の子にはモテなかった。💦
しかし、バスケの強豪校だったため練習を通じて、そのうち女の子は意識しなくなり、マジック・ジョンソン(古っ。。)のようになりたい!という願望に変わり毎日バスケ漬けでした。
反面、小学校時代に放映が始まった「宇宙戦艦ヤマト」にどハマりし、アニメのセル画の存在を知り、親にセル画キットを買ってもらい、バスケの試合、練習のない日は、家で黙々と絵を描いていました。
バスケも楽しかったですが、セル画を描くことも大好きでした。

スポーツ推薦が破談したショック

高校進学はバスケの強豪校へ。高校に行くと流石に練習量と試合数が半端なく多くなり、アニメのセル画を描くことも少なくなりました。
でも、宇宙戦艦ヤマトは放映があるたびに欠かさず、見ておりました。
高校から大学へ、バスケ推薦入学の話があり迷わずそちらの道へ進もうとしていた矢先、父親が55歳の若さで他界しました。
それで、家庭の経済的な問題で大学進学は諦め、高校卒業後、メーカーへ就職しました。

メーカーから起業へ

ここから僕の、無謀なチャレンジが始まります。
20年技術畑で暮らしたメーカーを退社し、個人事業主となり実質な「起業」をしました。退職金や家内の両親から借金をして、海外のものづくりを体験してきました。そこで帰国後、事業を法人化してデザインエンジニアリング会社を設立しました。

デザインエンジニアという役割

簡単にいうと一般的に言われている「デザイン」と「エンジニアリング」を縦割りにせず、横で繋ぎそれを「融合」していく技術開発手法です。
デザインは「意匠」ではあるが、形のみを意識するのではなく道具(モノ)と人(使う)のコミュニケーションツールとして意識する。
これが一般的にいう「使い勝手」になります。それが「意匠」の役割です。
エンジニアリングは「意匠」としての役割を阻害しない気持ちの良い「機能」「振る舞い」を提供することにあります。それが「技術」の役割です。

こんな考えで製品またはデジタルインターフェースを企業とともに横並びになって知恵と工夫、情報の提供を行うのがデザインエンジニアの役割です。
そんなことを意識し活動しています。

※デザインを「意匠」として捉えている国は日本ぐらいです。
デザイン=広義な設計と捉えるべきでしょう。

でも。。。ど真ん中にある自分の想い

企業家として、デザインエンジニアとして活動している反面、僕にはど真ん中の願望があります。
それは、「モビリティダイナミクス」の開発を自らが手掛けて行きたいというものです。
「モビリティダイナミクス」というのは僕の造語です。(流行らないと思います)🤣
モビリティという意味は一般的に近未来の車というイメージを持っている方が多いかと思います。
ダイナミクスとは単に「動力学」ということですね。
よって「モビリティダイナミクス」とは、「人にとって心身ともに快適な移動空間の未来を発信できる道具」ということです。車みたいなものかも知れませんし、サイバースペースなどの視覚化かも知れません。心身の快適な移動ですから、意識や知覚の移動かも知れません。w

初no+eなのに、思いっきり書き込みしすぎましたね。
本日はこの辺で終わりにして、デザインエンジニアリングに関する個人的な考えや、日常の出来事など、no+eならではの記事を今後書いて行きますのでぜひ、たまに覗いてみてください。

本日書いた記事のような話題は、youtubeで発信しております。↓

今後ともよろしくお願いいたします!

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