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レゾリューション2024

昨年の11月の世界大会で約10日間のアメリカ滞在を終え、自分がいなくても、そして戻ってきても何ら変わらず猛スピードで回る日常にグリス無しでゴリゴリと自分の体を挟み込み、摩擦に削り落とされそうになりながら働いて、なんとか年末年始を社会の歯車となって転がしていたら、世の中は2024年になっていた。

自分がそう思っているよりも、自分は自分の感情に鈍感になってしまったのかも知れないと訝しむほどに、悔しさや苛立ちを心の隅に抱えながらも手はキーボードをパチパチと叩き、頼んでもいないのに体はまた一つ年齢を重ねる準備を進めている。

ぼーっとしていたら振り返ることすらままならないままに2025年を迎えてしまう気がしたので、記しておこうと思う。

年の暮れ、首の辺りにポコっとした腫れがあることに気づき、病院に行った。若干風邪気味だったこともあり細菌が入ってリンパ腺が腫れているんでしょうとお医者さんに言われ、抗生物質を一週間分もらった。


ところが薬を飲み続けても一向に腫れが引かない。風邪はとっくに治っているのに何だかおかしいなぁと思い、再度病院に行くと、同じお医者さんが少し顔色を変え、血液検査をしてみようと言う。可能性は低いけれどもっと重病の疑いがあるからと。
血液検査でも結局腫れの原因は分からず、大きな病院に紹介状を携えてえっちらほっちら年始早々に出向き、さらに検査を受けた。
再度の血液検査、エコーを経てカルテに悪性リンパ腫の疑いありと書かれ、ラジエーションハウスでしか見たことのないCT検査を受け、造影剤が体の中を駆け巡る熱さを体感し、見たこともないぶっとい針を首からさして腫れの中身をぐりぐりして、ようやく癌じゃあ無いと思うよとお医者さんから言われるまで年始は生きた心持ちがしなかった。


じゃあ何が原因なの?と言うところははっきりとはまだわかっていないのでまだちょくちょく病院に通う日々は続いている。

膝を手術したり親不知をハンマーで砕いたり、外科的な処置は何度か経験あるものの、自分を形作る骨と血肉には何にも問題ないと思い過ごしてきた35年。

この先もそれが続くのだと、ようやく代名詞と固有名詞の区別がつき、お父さんには名前があるのだと気づき、お名前はなあに?と尋ねて遊んでいる我が子がもっとたくさんの理と矛盾を理解して行く時間を眺めていられると
思っていた矢先、誰かがスモーク焚き始めたんかな?と思うほどに突如として未来に靄がかかったような気がした。

実際のところ首が動かしづらかったり若干呼吸がしづらい程度で他は全く異常がないのだけれど、今までずーっと生きてきた中で当たり前に享受していた生の反対にある死という概念を限りなく自分ごととして受け止めた一カ月だったと思う。

光と闇のように、朝と夜のようにとっても身近にありふれているのに、あんまりわかってなかったんだなぁと、無知の知を悟るソクラテスのような気分になった。

かと言って何かに目覚めて生き方が変わるわけでも、これからは健康に気をつけて酒とラーメンを断つわけでもなく、また毎日が明日も始まるのだけど、もう少しだけ一日を捉えるこの目と頭の解像度を上げて過ごそうと思った二月頭。

漫然と過ごす日々に、もう少しハリと潤いを与えようと思いたち、スマホの中のゲームアプリを一つ消して、息子を長めに抱きしめようとしたらお父さん嫌!とご機嫌斜めで蹴られてしまった。

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