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想像しようそうしよう。

”ボジョレーヌーボーには赤しかない。”
そんなことも知らずに東京にやってきた7年前、当時働いていた職場のあった京王線笹塚駅改札前から伸びる高架下商店街の中に在るカルディで、
「ボジョレーの白ください」と自信満々に言い放った自分に向けられた、店員さんの困惑した表情を今でもたまに思い出すことがある。

「お客様、ボジョレーに白はございません。」と店員さんに言われ、自分の顔は赤ワインのように真っ赤になっていただろう。知らんけど。

常識は移り変わる。価値観はアップデートされていく。

新卒でガッチガチバッキバキにジェルで髪の毛固めまくって入社した証券会社では、有給休暇というものは体調を崩した際に上司にお伺いを立てた上で使わせてもらえるものだった。交通費は申請したらその後、上司の席まで歩いて行って「ご承認お願いします」と一言重ねて依頼せねばならないものだった。その時はそういうもんなのか、と思いながら、今でもそうだけどダメダメな私は上司に話しかける機を伺うのが苦手で、百円かそこらの電車やバス代なら別に申請しなくてもいいかと思ってしまっていた。

そのころの自分からしたら、育休をとって3ヶ月仕事を休むなんて北欧のどっかのおしゃれな国の出来事かなんかだと思っていただろう。そして育休取れるなんていいなあと、子どもと過ごすことができる時間を羨むのでなく、仕事が休めることをただただ羨んでいたと思う。
想像力の欠如とは本当に恐ろしい。当たり前だけど、子育てと親であることに休みはないのだ。そんなことも想像できず、当事者になってみて初めて、仕事はないけど全然休まらへんやん!と虚しいツッコミを入れることになる。

復職したらそれはそれで、仕事をしながら子育てもするという生活にうまく自分のリズムを重ねることができず、自己嫌悪になったりする。きっと誰もが通った道で、自分一人にだけできない訳ない!みんな同じ人間!などと都合いい時だけ多様性とは真逆の概念を持ち出し、自分にもできる!と言い聞かせていたりする。

教習所に通って車の免許を取るまで、街中を走る車の運転が自分にできるなんて想像もできなかった。

車の運転に限らず、誰もが何ら不自由なく物事を進めているように見えて、きっと色々悩んだり立ち止まったり、失敗したりやり直したりしていたのだろう。

自分の常識や価値観に当てはめて人を判断するのはとても簡単だけど、例えば仕事をする中でどんだけ自分が頼んだことが進まない現場にであったとしても、相手が使えない、と言う言葉で片付けてしまうことは、できる限りしたくない。そういう人に最近よく出会うのだけれど、自分に余裕が無いのと同じくらい、相手に余裕が無いのかも知れない。

そんなことを考えながら、自分が休職している間にすっかり変わってしまった職場の雰囲気にソワソワし、なかなか動いてくれないパソコンにイライラしないよう、言い聞かせている。






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