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春が来た。何かの比喩ではない。何かに合格したわけでも、どこかの国で民主化運動が始まったわけでもなく、ただ目の前に春がやってきた。平等に、他の人のところにやってくるのと同じ速度で。

何かを成し遂げたり、何かが終わったわけではないが、勝手に気持ちを新たにして、なんだか今まで積み重ねてきたことや中途半端になってしまっていることをほっぽりだして、スタートラインに並びたくなる春が来た。

振り返ると切ったゴールテープの切れ端はどこにも見当たらないのに、スタートラインばかりが少し歪だけれど大体等間隔に並んでいたりはしないだろうか。
気持ちを新たにスタートを切るや否や、いつの間にかまたスタート地点にいて気持ちを新たにしてはいないだろうか。

その新たにした気持ちはそもそも新たにするほど旧くなってしまっていたのだろうか。皺くちゃになるほど、汗を吸い込んでしまうほど一生懸命走ってもいないのに、とにかく洗濯機にダウニーと一緒に突っ込んで洗い立ての香りばかりさせてはしないだろうかと、考えを巡りに巡らせてため息をついてしまうことが自分はたまにある。

我が子が生まれて3か月とちょっとが過ぎた。それは同時に、育児休業期間が終わることを意味している。

国の制度の話だけをすれば、延長することももちろん可能だし、お給料さえ許せば1年まで仕事は休めるのだけれど、こと我が家においてはそのお給料様からのお許しがどうしても得られず、職場復帰を間近に控え、復職後の生活のことを考え少し陰鬱としている自分の脆弱なメンタル少し嫌気が差していたりする。

少し暗い気持ちを吹き飛ばそうと外に出たランニング中、シャッフル再生でiTunesの曲を流していたら、音楽活動を続けている同郷の友人が作った曲が流れてきた。「毎日毎日、毎日を変えたいって思っていたいよ。」という歌詞が強く印象に残っている曲だ。

友人は、いっつも熱い曲を作る。一曲一曲に熱を帯びた勇気をもらい、もらったそばから一瞬で冷ましてしまっているような気がするが、流石にそろそろ30代も半ばに差し掛かる今、その熱い気持ちの保温機能を高めていかねばとちょっとだけ思った。

三日坊主どころか朝に出家してお昼ご飯の精進料理で音を上げて俗世に戻ってしまう。グランドラインに出るどころか沖に出た瞬間近海のヌシに瞬殺されてしまう。今のところそんな感じの30代を過ごしているが、懲りずに新しいスタートを切ろうと思う。

まず家では洗い物を溜めないところから。












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