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成人式の思い出。

ランニングの途中、中野駅の前を通ると、この世に存在する色という色を詰め込んだような振袖衣装の女の子がチラホラ。今時流行りのタイトめなスーツをビシッと着こなしたお兄さんたちが肩で風を切って歩いてる。

“そんなんで和式便所座ったら破れてしまうで“と言おうもんなら「あなたみたいに太ってないので大丈夫です」と言われてしまいそう。コロナ禍で色々制限ある中(もちろんそんなの無視してどんちゃん騒ぎしている若者もいるだろうけど)新成人となった皆さん、おめでとうございます。

汗ダラダラかきながらふと、自分の成人式があった年から既に10年以上の歳月が経過していることを考え、垂れ流してきた時間と積み重なっていない自己研鑽に愕然とし、
夕日に照らされる中野サンプラザがセピア色に見えた。

10年以上前、まだ誰もスマホを持っていなかった頃、成人式を控えた年末、私の銀行口座には金がなかった。実家に帰る交通費もなかった。


そして成人式の翌々日には、第二言語として選択していた韓国語のテストがあった。そのテストの点で単位が取れるかどうかが決まり、落としたら翌年度で再履修になってしまうテストだった。

次の4月から大学を休学して1年間カナダに行くことを決めていた私にとって、そこで単位を落としてしまうことは、1年のカナダ生活で韓国語を何もかも忘れてしまった翌々年にわざわざ卒業に必要な単位を取得するためだけに韓国語の履修登録をすることを意味していた。

別に実家が貧乏というわけでもないので、お金は多分お願いすれば帰省するくらいは送金してもらえたと思う。でも本音は成人式に行くのがちょっと怖かった自分は、金がないことと韓国語のテストを言い訳にして欠席した。

高校卒業後、一人暮らしによって誰にも干渉されないのをいいことに、毎日食べ続けたラーメンとポテトチップス。その油という油、糖という糖が顔にお腹に足に腕にだるんだるんという音が聞こえるほどにむっちりとつき、67KGで卒業した2年後、成人式を迎える頃には私の体重は97KGに達していた。

成人式で久しぶりに顔を合わせる同級生は大半が中学(体重は確か57KG)の同級生だ。
中学卒業から身長はそのままに体重だけが2倍近く増えてしまっていた私は、久々に出逢う人誰しもに「お前誰やねん」とか「めっちゃ太ったな」とか、自分でも痛いほどに理解している変化を他人の言葉で再確認する日々を送っていたため、わざわざその言葉を浴びるために実家にお金の送金を頼んだり、友人に借りたりすることがとても億劫に感じてしまったのだった。

結果、「カナダに行く前で金がない。ちゃんと単位取って気持ちよく休学したい」などとクソかっこ悪い言い訳をして成人式には行かなかった。その時はそれでいいと思っていた。けど、成人式後に当時大学生の間で圧倒的な勢力を持っていたSNS(mixi)に投稿されるキラキラした同級生集合!って感じの写真を見ると、「なんで太ってることを気にして成人式に行かないなんてアホなことしたんやろうか。一生に一度やのに、ってかそもそも太り過ぎやろ!」という負の感情が沸々と湧き起こり、なんだかとってもとっても寂しくなって、集合写真に自分がいないことで地元の友達との関係をも断たれてしまったような気がした。

そして、韓国語の単位を落とした。

それから10余年。

今しかできないことは、今しかできないから価値があるのだ。
太ってしまって醜くなったのは体躯でなく、そのむちむちをチャームポイントに変えられなかった私の心だったのだと思う。

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