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京都〜日光を9日間で走った話2024(その3)

は?自己紹介ですか!?

なんとか前日中にスタート近くのホテルまで移動し、翌朝身支度をして会場の京都御所に着いた私でしたが、競技説明を終えた大会会長殿はおもむろに皆に自己紹介を求めたのです。
なにしろ日光まで走り通す参加者は30名限定の募集。そのうち今日のスタートには25名が来ています。確かにこの人数なら全員挨拶をしたとしてもそれほど時間はかかりません。
しかし、マラソンの大会での挨拶といえば、通常は招待選手かゲストランナーと相場が決まっています。つい先日開催された青梅マラソンでは国民栄誉賞の高橋尚子さんがゲストランナーとして来られており、あの相変わらずの煌びやかな声でスタート前に皆に檄を飛ばしておられました。その栄光の金メダリストと同じ立ち場におかれるとは、やはり長生きはするものです。

しかし挨拶の準備が全くできていなかったうえ、挨拶の前に大会会長殿から「2年連続完走者の一人である」との紹介をしてもらっていたこともあり、私の緊張は高まっていましいた。ここは経験者らしくバシッと何か気の利いたことを言わねばなるまい。私の順番。参加者の目が私に集中します。

しかし、結果として出た言葉は、まるで小学生の級長が遠足の前に行うそれとなんら変わり映えもしない代物でした。

「みなさん楽しく日光に行きましょう」

こんなどうでも良い言葉に対して暖かい拍手をいただけるとは、私は三国一の果報者に違いありません。

「それでは、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、スタート!」

過去2回完走しているということもあり、私ともう一人の経験者と二人で先導する形でスタートしました。目指すは今日の宿泊先である70キロ先の彦根市。途中の守谷市にあった郷土資料館の見物などをしながら進んでいると、あっというまに夕方です。今年はとても綺麗な夕焼けが近江盆地を照らしています。

近江盆地の夕焼け。ここで夕日が見えたのは今年が初。


ここは最重要区間。去年とおととしはいずれもこの付近で道端の側溝に落ちています。私はまるで闇夜に獲物を狙うハイエナのように目を爛々と光らせながら街道を走っていました。
しかし、この最重要区間は、今年はなんの危険もなく呆気なく終了してしまったのです。
おそらくこれは、二年連続でドブに落ちた私の身をあまりにも不憫に感じられて、地元の町内会の方がお金を出し合って側溝の蓋を手配頂いたのかもしれません。そして私が無事そのトラップをクリアしたことに対し、星飛雄馬を見守るお姉さんのように電柱の影から見守ってくださった、そんなことも大いに考えられます。

ありがとう琵琶湖の付近にお住まいの方々。かつて滋賀には琵琶湖しか無いと真面目に考えていた私をどうかお許しください。私は無事、一日目を予定通りクリアしたことをお伝えいたします。明日は滋賀を離れ岐阜に入ります。

翌日2日目はこちらも70キロ。距離はそこそこありますが全般的に平坦で走りやすい道が続くイージーコースです。まぁ3回目だ。道も知っているし何も問題はないだろう。

しかし、今大会最大の危機がまさにその2日目に早くも訪れることになろうとは、当時の私は全く想像していませんでした。
まさに死して屍、拾うものなし。

(次回に続く)


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