フォローしませんか?
シェア
大江戸線がまるで深海のよう。 深く深くへ潜らされ、オフィスへ向かうサラリーマンたちは、さしずめ鰯の群れである。それを横目に戸惑いつつも微笑むインバウンドの観光客たちは、横歩きのカニか、波にそよぐイソギンチャクか。 もちろんわたしも鰯の群れの一員となり、水流に身を任せれば、狭い車内へと瞬く間に吸い込まれた。だがあまりのうるささに耐えきれず、ノイズキャンセリングイヤホンを装着する。 瞬間、世界は静まりかえる。 その静寂が無いはずの記憶を呼び起こす。ここがまだ深く静か
念願だった手のひらサイズの箱庭を手に入れた。 手入れされた植木と群生する愛らしい野生の草花、そしてちいさな小川が流れている。不思議な造りで、天蓋のようなドーム型の天井を有していた。わたしはそれを家に飾って、仕事の合間に青々と繁る緑や風にそよぐ草花を眺めては癒された。 ある日ちいさなちいさな野鳥が、箱庭の小川で水浴びをしていることに気がついた。開け放した窓の近くに置いていたから、いつのまにか入り込んだらしい。植木で少し羽を休めた後、すぐまたどこかへ飛び立って行った。
近所に新しく靴屋ができた。けれどまだ開店しているところをみたことがない。いつも「皮をなめしています」とか「靴紐を紡いでいます」とか、何らかの理由で店を閉めている。 その店が気になりすぎてとうとう昨晩夢をみた。店主であろう人物が接客をしてくれて「新作の、哀しいけれど美しいレインブーツがおすすめです」と言う。 差し出されたのは、こげ茶色の上品なレインブーツだった。靴底を見るように促され、そっと裏返すと一面うすピンク色だ。よく見るとそれは無数の桜の花びらを模しているようで、
わたしが愚痴りながら「モラル」と言ったのを、あなたがいきなり「蛍」と聞き間違えるから、怒りがどこかへ消えてしまった。 「え、蛍?なんで急に蛍の話しになるの?まぁ田んぼに見に行ったりしたいよな〜」 わたしは思わず笑ってしまう。驚いた様子で発した最初の言葉を、そっくりそのままあなたに返してあげたい。 わたしのことを好きらしいこの彼は、ちょっとどこか抜けていて、いわゆる「おしい」人だ。でも職場であった嫌なことを、一瞬ですっかり忘れさせてくれるくらいには、その「おしい」と
朝は嫌いってグッモが言う。グッモは大学の同級生で、浅野さんという女の子。浅野さん→あさちゃん→グッドモーニング、とあだ名が進化して、今はグッモと呼ばれている。 完全に夜型だし、低血圧だし、と必ず彼女は続けて言う。なるほど朝が嫌いなことはわかった。けれどグッモというあだ名は甘んじて受け入れているようだった。 ある朝、きのう恋人と別れた、と、目を真っ赤に腫らしてキャンパスに現れた。昨晩はどんなにかひどい夜だったろう。それでも朝一の授業に間に合うように来て、よほど独りでは
平成の中頃、折り畳み式の携帯電話が一世を風靡し、そのトレンドは業界で瞬く間に主流となった。また、局地的なムーブメントだったがある地域ある界隈では一時期、猫も杓子も折り畳み、という行き過ぎた事象が観測されていた。 折り畳みネイルから始まった流行は、あっという間に常軌を逸した広がりをみせた。折り畳みデパート、折り畳み恋愛、折り畳める実家…と、もはや節操がなかった。しかし躍起になって自らの身体を折り畳もうとする輩が出てきたあたりで、誰かが声をあげた。「そのままの方が美しいので
3丁目の郵便ポストはすこし変わっていて、そこから手紙を送ると届く頃には何でも贈り物になってしまうという。 手紙なのにリボンが掛けられているとかは可愛いもので、勝手に「のし」が巻かれていたり、時にはデコデコのラッピングが施されていたりするらしい。 この素っ頓狂な事態に、さすがに誰かがやんわりとクレームを入れた。最近では目に見えた贈り物にこそなっていないが、それでもまだ隠れてこそこそやっているようだ。 今日届いた手紙は、なんだか春の陽みたいに暖かく、ほんのりと白く発
出会った頃、お互いにあまりピンときてなかったと思う。 甘いものは得意じゃないとか言いながら、コンビニで肉まんかあんまんかの二択で後者を選んだ彼をわたしは理解できなかったし、めちゃくちゃお酒を飲むのに締めにしっかりデザートのパフェを頼むわたしを見て彼は言葉を失ったらしかった。 初めて彼を意識したのは、誕生日にサプライズでくれたプレイリストだった。洋楽ばかり知らない曲がたくさん入っていた。何気なく聴いているうちにすごく好きになって、タイトルや歌詞の意味を調べると、全部の曲
気まぐれで買った入浴剤のアソート。仕事で疲れた日のバスタイムにと大事に使っていたけれど、あっという間に最後のひとつ。ラストのそれは「ミルキーウェイ」と名付けられていた。 湯船に溶かすと真っ白なお湯になり、キラキラと細かなラメが散っている。とてもきれい。思い立って電気を消すと、脱衣所の穏やかな灯りだけが頼りのロマンチックな雰囲気に。うん、なかなか良いかも。 やわらかなお湯に癒されていると、目の端に何かちらちらと映り込む。よく見れば、湯船に散るラメが時折ヒュンヒュンと落
夏至は冬至に出逢いたかった。真冬の夜、あの凍てつく濃紺の星空を従えるその人はどのようなお方なのか。いくら憧れ慕っても、決して逢えはしないのだけど。 冬至も夏至に出逢いたかった。あの光り輝く灼熱の太陽に、夏の盛りを照らされ続けるその人はどんなお方なのだろう。いくら想い焦がれても、決して逢えはしないのだけど。 一年のちょうど真ん中の日、それぞれに彼らは互いを想い合った。 やがて孫の孫の孫の代。家系図からとっくに名前が消え去った頃、彼らの子孫は偶然高校のクラスメートとなった。
「お、初イヌだニャ〜」 元旦の朝にご主人といつものコースをお散歩していると、近所の野良ネコに声をかけられた。 「違うニャ。さっき白いチビイヌを見たから、初クロだニャ」 たしかに僕は黒ラブのミックスだけど「ショコラ」っていうかわいい名前があるのに。なんて失礼なやつ。これだから正月に浮かれて何にでも「初○○」とか「○○初め」とか言うやつは。 「クロ〜今年もよろしくニャ〜」 「う、うん!よろしくワン!」 僕は思わず尻尾を振ってしまった。 新年の挨拶だなんて、僕とアイツ
ロップイヤーは言う。空と空には結び目があるのだと。それも、兎がぴょんと跳ぶくらいの高さのところに。 私たちの頭上の空が遠く地球の裏側へと続くのは、地上に無数に点在するその結び目のおかげだという。そしてそれによって、世界の均衡が保たれているのだそうな。 また、誇らしげに胸を張る。空の端と端を結んだ様は、まるでわれわれの垂れ耳を結んでいるかのようにとても愛らしいのだ、と。 続けて嘆く。嗚呼、あなたにも見せてあげたいのに、あれはわれらにしか見えない。 そして運良く結び目を見つ
九州地方のとある島の神社には、昔から不可思議な噂があった。 何でも、夜な夜な狛犬たちが散歩にでかけているらしい。 尾っぽをフリフリ、でも石造りなもので足音はゴロゴロと、仲睦まじく近所を徘徊するのだそうな。 口を開けた狛犬は延々と愛を語り、もう片方は黙ったままウンウンとまんざらでもなさそうにその言葉を聴いている。絶え間ない愛の囁きに興奮するのか、いつしか互いの尾っぽを追いかけくるくると周り出す。その戯れはやがて発光し、スピードを増すと明滅し始める。星空の如くひとしきり
クルルルルル…いつのまにかおばあちゃんの家の庭に迷い込んだ仔猫は、ミルクをもらって安心したのか、小さなからだいっぱいに喉を鳴らした。だから、 ついた名前は「くるる」。おばあちゃんは、くるちゃんと呼んで可愛がった。膝に乗せあごを撫でてやると、猫が鳴る。クルルル…。 幼い私はふざけて聞く。「ねぇくるちゃん、何が来るの?」するとおばあちゃんは「この子はあったかい気持ちを連れて来るんだよ」と。たしかに、あのクルルル…を聴いていると胸の辺りがじんわりあたたかくなる。それはとても不思議