【FF14】ゾディアークとハイデリンと極性の話。

※パッチ5.55までと、大迷宮バハムート、希望の園エデンのネタバレを含みます!おきおつけください!


6属創世記が示す相関関係を見ていると
闇たる活性を司る属性が「火」「雷」「風」であり
光たる停滞が司る属性が「水」「氷」「土」である
と思っていました。が、どうやら図のままの簡単な話ではないんじゃないかと思ったのです。

エオルゼア十二神の創世神話に登場する神々はそれぞれの属性に分かれて二柱ずつ存在しています。「火」を例に挙げるならば「星極性のアーゼマ」「霊極性のナルザル」になります。こんなふうに全ての属性に二柱ずつ神がおり、その性格もまた対になっているように思えました。
となると、闇たる活性を司る属性は6種類あって、光たる停滞を司る属性もまた同じだけあることになるなあと

ここで少しだけ6大元素と相関関係のおさらいをしますが、
エーテルには火、風、雷、水、氷、土の6大元素が宿っており、自然界に対して様々な作用を与えている。たとえば、その土地に流れるエーテルが火属性に寄れば周辺一帯は乾燥し、気温も高くなる。逆に氷属性の強い地域では、寒冷化が進み極寒の世界となっていく。中略。なお、これらの元素に対しては「極性」という力も作用する。星極性と霊極性と呼ばれるもので、前者の星極性によれば激しく活発な動的作用を生み出し、後者の霊極性によれば静まり静的な作用を生む。たとえば火属性でも、星極性に寄った場合は、激しく燃え盛る発火現象を起こす。一方、霊極性に寄った火属性の力は、乾燥した状態を創り出すのだ。

画像1

この図は世界設定本のものですが、上が星極性で下が霊極性になります。
この図の右側、下部には「揺るぎなき二つの支配」とあり、内容は、
雷も火も土も氷も水も風も
すべては霊の上にあり
すべては星の下にある
近いか遠いか、ただそれだけ……
と書かれています。

これです。勘違いします。闇と光それぞれ3元素ずつだって、勘違いします。私はしてました。
が、5.0シリーズのレイドである希望の園エデン。光の氾濫によって光ばかりでなんの属性もない無の大地を再生させようというリーンの取り組みです。覚醒編から始まり全ての属性を励起し終え、無の大地は緩やかに本来のバランスを取り戻していくだろうと思って共鳴編は終わりましたが、再生編で再び無の大地を訪れた際には、属性の励起だけでは足りなかったのだということに気付かされます。
光に寄った状態では属性を取り戻しても属性は停滞の力によってしまう。それは本来の調和された状態とは言いがたく、闇もまた必要であるという話でしたね。
光と闇は共にあってこそ調和がなされる。光の巫女と闇の巫女が手を取って歩いていく明日。停滞と活性の極み希望の園エデン。片一方が欠けていてはいけない、そんな話です。

属性と極性、光と闇については一旦ここまでにして、ゾディアークとハイデリンの話になるのですが

・元々この世界には光も闇もなかった。
ラムウ「……そもそも、ヒトはいつから闇を抱えるようになった。原始の時……そこには光も闇もなかった……まさか、ヒトがヒトたるために生まれたというのか」

・星の代弁者「すべての命が生まれるより前、星の海の底では、光たるハイデリンと闇たるゾディアークがひとところにありました。しかし、闇が力をつけ、光との均衡が崩壊。ハイデリンは滅びを避けるため、ゾディアークを星の海より放逐し、遠い天へと封じた。こうして月が生まれれた。しかし、星を二つに割く痛みは、次元の境界をも傷つけ、ここ原初世界にのほかに十と三もの鏡像世界が誕生したのです」
この話はその後月に放逐されたゾディアークは、闇の使徒たるアシエンを操り、原初世界の側から次元の壁を壊し、分割した世界を統合しようとしている。これが彼らが呼ぶアーダーと呼ぶ次元圧壊であり、人が霊災と呼ぶ災厄なのだ、と。

ん?なにかおかしいと思いませんか?
エメトセルクたちが生きた古代の時、終末の厄災の折にそれを鎮めるために生み出されたのがゾディアークだったはずで、その枷となるために生み出されたのがハイデリンだったと漆黒編で語られています。
しかし、本来ゾディアークとハイデリンはひととところにあったと言っています。ラムウの言葉を借りるならばこの二柱の神は光も闇もなく一つだったようにも受け取れるんですよね。
星の代弁者たるミンフィリアの言葉に嘘はなく、ラムウの言葉にも嘘はないのだろうと私は考えているのですが……そもそも古代の時、本来の星の意思があったことは確実で、ゾディアークとハイデリンは代替えの神であるはずです。しかし、本来の星の意思、そして古代の時にもすでに属性の話が出ているのですから、創世神話はこの時代においてもすでに神話としてあったのではないだろうか?

十二の神と光と闇。

本来の星の意思としてゾディアークとハイデリンはそもそも古代人たちにも浸透した神話だったとしたら、これまで光の戦士達が立ち向かってきた神降ろしと結びつくなあ、と。
今回のパッチ5.55でティアマットが再び出てきたので彼女の話をしますが、彼女はかつて、アラグ帝国に敗れて死した最愛の番たる天龍バハムートを、神降ろししています。しかし、呼び降ろされたバハムートは最愛たる翼とは全く異なるものでした。
そうなんです。神降ろしとして召喚された蛮神は本来とは違う形で呼び下されてしまうんです。なので本来であった光と闇の神は違う形で呼び出されてしまったことになります。

ここで古代の厄災、星の意思が失われたあの滅びの情景、流星雨の情景を思い出してみたとして。6.0のトレーラーを、ファダニエルが再現しようとしている終末を思い出してみたとして。あの酷い惨状を止めるために必要な力は活性であるのか、停滞であるのか、と考えた時に、私は鎮める方を選ぶと思います。そうなると、あれ?と思うのですよ。あれ?終末の厄災を止めるために召喚したのはゾディアークではなかったか?と……

光と闇、ゾディアークとハイデリンこの二柱の極性はもしかしたら逆なのかもしれないのです。活性を司る星極性の神はハイデリンであり、停滞を司る霊極性の神はゾディアークでは? 
停滞しようとするゾディアークに対して活性の力で枷となるハイデリン。変わりないことを望む彼ら古代人たち、闇の巫女もまた私たち以外の全ての時を止めようとしていたのだから停滞と読んでおかしくないのでは?

一番最初の6属性相関図、6.0アート、天野喜孝先生の描かれたハイデリンとゾディアークの位置、暁月のフィナーレでは光と闇の話に決着がつき、そして十二神の話もアライアンスレイドとして語られる予定になっています。うーん、こういった疑問の答えがくる11月が楽しみでしょうがないですね!!




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