幻のウイニングラン 第104回天皇賞の記憶
今回は1991年の天皇賞・秋。そう、武豊・メジロマックイーンが歴史に残る降着事件を起こした有名なレースです。
その前年は、ダービーで「ナカノコール」が起き、年末の有馬記念ではオグリキャップがあの感動のラストランを決め、要は競馬ブームの絶頂期だったのです。 競馬場は一躍、流行りの遊び場となっていて、そしてこの年も、トウカイテイオーが無敗でダービー制覇を達成するなど、話題には事欠かず。
それに加えて、忘れてならないのが、この年の10月に馬連が導入されたこと。公営競技のオールドファンなら骨身に染み付いた、長く長く続いてきた枠連オンリーの時代から、とうとう多種多様な馬券の時代へと、その変化のはじまりだったのです。
現在のような馬連のほか、ワイドやら馬単やら3連単やら、様々な馬券がある競馬に、最初から慣れ親しんでいる方にはなかなか想像しづらいと思いますが、これが当時はどれほど刺激的な出来事だったか。
それ以前も、単勝・複勝の存在感はいまと変わらない感じで、馬券の主体は唯一の連勝馬券=枠連だったのです。すなわち、ずーっとずーっと長く続いてきた馬券=枠連の常識が変わろうとしている。
そして、この馬連が導入されて初のGIがこの天皇賞だったのです。
さて、私のレース予想ですが、当時の絶対王者メジロマックイーン。この極悪不良馬場も血統その他から不安なし、と考え不動の大本命。相手は複数が拮抗も、心境著しいプレクラスニーが本線。一言でいえば、ド本命で決まるというのが私の結論。
で、買った馬券はというと、5枠10番プレクラスニーと7枠13番メジロマックイーンの連勝がド本線ということで、馬連10-13と枠連5-7を半分ずつ(笑)。
こうやって書いていても、これが時代ってやつなんだなあと思うんですが、いまこのレースの馬券を買うとしたら、馬連10-13しか買わない。枠連を買うという発想が思い浮かばない。
でも、当時はそれまで長い間、ずーっと枠連を買ってたんですよ。だから、枠連を買ってしまう。いま、考えればおかしいんですけど、それが当時の常識というか、いかに枠連の考えが染みついていたか、なんですが。
で、いよいよレース観戦。私の競馬場での観戦スタイルは、スタンドの座席に陣取ることはほとんどなく、基本、直線前のあのなだらかな地面で見ることにしています。朝から場所取りをしなくていいというのが一番の理由。
その分、混みますしレースを見にくいのも確かですが、同時に競馬場の空気を一番よく味わえる場所だとも思っています。
このときも、いざ、出走というので、傘をさしながら、あのゴール前のだだっ広いスロープへ。GIにしては人が少なくて、見るのに苦労しなかったのを記憶しています。
でも、この記事を書くにあたって当時の映像を見ると、結構人がいるんですよ。でも、私の記憶だと「こんなに人がいたっけなあ?」と。それくらい人が少なく、まばらだった印象が強いんですが、これも記憶の改変というやつなんでしょうか。
肝心のレースですが、御存じのとおり直線前のスロープにいると、レース展開の把握はビジョンだより。ということで、スタート直後に起きた”あの”メジロマックイーンの進路妨害のシーンは、何もわからず。
覚えているのは、直線に入ってから、メジロマックイーンが圧倒的な強さで他の馬を見る見るうちに千切り捨て、ぶっちぎってゴール板を駆け抜けたこと。
降りしきる雨の中、悠々と走り抜けた灰色の馬体。それだけがいまも記憶に焼き付いていて。
まさに別次元。ものが違い過ぎる。絶対的な強さ。
何馬身も2着馬を引き離すようなぶっちぎりレースは多く見ていますが、「ものの違い」を感じた点では、このレースは何本かの指に入ります。
後のディープインパクトのいくつかのレースや、最近ではオルフェーブルやリスグラシューの有馬記念に匹敵する、問答無用、完全無欠の決着劇。
そして、武豊の乗るメジロマックイーンがスタンド前に戻ってウィニングラン。私も含めたスタンドの客が一斉に快哉を叫びます。それを背に地下馬道に消えていく武豊と王者マックイーン。
昨年度のオグリキャップのラストランで一気にスターダムに駆け上がった競馬界のスーパースターと絶対王者の予定調和的な圧勝劇でこのレースは幕を閉じるかと思われたのですが。
ご承知のとおり、進路妨害でメジロマックイーンは降着。この後も、この降着事件の余波はしばらく競馬界を騒がせることになるわけですが、あのときの現地は結構淡々としていた記憶が。
当時も、コテコテのギャンブル親父みたいなのは本場では相当数が少なくなっていた(後楽園や新宿の場外だとまだ見ましたが)と思いますが、大声で騒いだり不満を口にする客もほとんどなく。みんな、「へー、そうなんだー」みたいにあっさりと降着を受け入れていて。これは私も同じで。
ただ、最後に書いておかなければいけないのが馬券のこと。
先に書いたとおり、私はなぜか枠連と馬連を半々で買っていて。メジロマックイーンは降着になりましたが、代わりにプレクラスニーが1着、そして2着にはカリブソングとなったのですが、このカリブソングは7枠14番。
要は、枠連は入線時も降着後も5-7で変わらなかったのですよ。ですので、私は馬連はもちろん外れですが、枠連は代用で的中。
一緒にいった友人の中には、新しもの好きで馬連で勝負したのもおり、そうした友人は大爆死したわけですが、これもまた競馬。何が正しいかなんてわからないなと思ったのを覚えています。
これが競馬史に残るであろう、メジロマックイーン降着事件のあった1991年の天皇賞・秋の観戦記です。
私もその後、パトロールフィルムを何度も見ましたし、降着にスポットがあたるレースなんですが、現地で見たものとしては、ただただ、メジロマックイーンが神がかったレベルで強さを見せつけたレース。
その一点で記憶しているレースです。