人生の折り返し点を過ぎたと感じたことについて

最近、新卒で就職したときの上司が亡くなったことを知りました。

なかなかに風変わりでユニークなところのある方でした。尊敬していた…とはちょっと違うのですが、何だかんだで目をかけてかわいがってもらった(多分)し、同じように変わり者の自分とは波長が合っていたんだと思います。自分が新人で右も左もわからないときの上司ということもあると思いますが、仕事で一緒になった多くの上司・同僚の中でも、とても印象深い方でした。

いわゆる出世という点では、私から見る限りは、能力に応じた評価をしてもらえなかった方でした。ただ、それは私の意見で、ユニークな方でしたから組織の評価としては妥当だったのかもしれません。

その方は頭のいい方でしたので、自分を評価しない組織に見切りをつけたのか、定年の少し前に自ら早期退職をされました。その後は直接会うことはありませんでしたが、年賀状のやり取りだけは毎年続けていました。最近は、年賀状をほとんど出さないのですが、それでもこの方には毎年出していたのでは、やはりそれだけお世話になったという思いが自分にあったんでしょうね。

そして、お亡くなりになったことを奥様からの喪中欠礼の葉書で知りました。

で、そこに書かれていた年齢を見て。後期高齢者の年齢までいってないのでちょっと早い。でも、若くしてというほどでもない。

そして、いまの自分の年齢を引いてみたんですね。「ああ、俺もそれなりに健康に生きられたとしてもこれくらいでお迎えが来ておかしくない。残りはこれくらいかもな。」そう実感しました。

で、残っている年数といままで生きてきた年数では、私の年ではもう圧倒的にいままで生きた年数の方が多いわけです。残っている年数の方が少ない。

これがはじめてではないんですが、自分がもう人生の折り返し点を過ぎたんだということを改めて実感する瞬間でした。

それは、とてもおもしろい本に出会って夢中になって読み進めていて、途中でふと残りページの厚さをみて「ああ、もうこれしか残ってないのか。このおもしろい本はあとこれだけで終わっちゃうのか」と思う。あの感覚に似ているように思います。

どのくらいの年齢で感じるかは違うでしょうが、どの人にも「ああ、もう俺の人生、残りの方が少ないんだ」と思う瞬間ってきっとあるのではないかと思いますがどうでしょう。

そして、それを感じた時が、もう自分は「若くない」ことを認める瞬間だと思うのです。それは、それまでの自分がそうだったように、若者たちには決してわからない感覚。