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スポイルされていくことについて

まあよくある話なんですが。
あるスポーツなり競技なりで、若いルーキーがデビュー後いきなりいい結果を立て続けに残す。その内容もセンスや才能を感じさせるもの。本人のルックスやキャラクター、喋りもなかなかイケてて光るものがある。

となると、見る見るうちに脚光を浴びるのが世の常。業界の重鎮のような大物がその活躍についてコメントしたりして、そんな凄いのかと関心を持った人がどんどん周囲に集まってくる。
単純に憧れるファンもいれば、親しい関係となることで自分にメリットがあると考えた業界関係者など、様々な思いを持った人たちが近づいてくる。

そこで、それまでと同じように力を伸ばしていければいいけれど、ここで何かが崩れてしまうことが往々に起きる。

本人は決して気づかないが、言動や振る舞いがいつのまにか傲慢になる。ひとつのわかりやすいリトマス試験紙が、それまでの指導者との関係。
経験で劣るルーキーがいきなり何かを成し遂げるときは、必ず背後に優れた指導者や理解者がいるもの。ところが、ちやほやされて本人が悪い方向に変わってしまうと、周囲との関係が必ず変化する。

指導者の言うことを聞かなくなる。本人があまりに練習に身を入れないので指導者が愛想をつかして離れていく。本人を見守っていた理解者も言動に辟易して距離をとるようになる。そうしてそれまで面倒を見てくれていた人たちと疎遠になる。

そういった変化が、当事者以外のメディアなどの外部にそのまま出ることはなく、大抵は「より成長を目指すための決断」や「環境を変える新たな挑戦」のようなぼやかした言い方で語られる。
その競技で大きなタイトルをとるなど地位を確立してからならともかく、ルーキーが少し結果を出したくらいのタイミングでこういう動きがあった時は、ほとんどがよろしくない方向に物事が向かっているパターン。

で、いままで力を伸ばしてくれた指導者なり理解者の代わりに、周囲に新しい人間たちが、私たちは彼の熱心なサポーターですという顔をして陣取るようになる。

哀しいことに、彼らは太鼓持ちでしかなく、お追従しか口にしない。なぜなら、ファンや業界関係者の彼らが欲しいのは「彼と親しい」という事実だから。
だから、本人の問題点を真剣に直言するなんて絶対にしない。問題点を指摘するだけの知識がないのもあるが、直言した結果、本人が改善しても、自分との関係が壊れてしまえば元も子もないからだ。

当然の帰結として、ルーキーの成績は伸び悩むようになる。かつて見せた破竹の快進撃はどこへやら、平凡な結果や、時には惨憺たる結果が残るようになる。

でも、周囲の人間は、結果が出ないときこそルーキーを支えるのが自分の役割だと、ありとあらゆる言葉を使ってショックを受けないようにフォローする。太鼓持ちは実に上手く太鼓を叩く。
「最近いろいろな行事に呼ばれて忙しかったからしょうがない」
「不得意なシチュエーションだった割には悪くない結果だ」
「今回は不運があったのによく頑張った」
「練習の時間が十分とれなかっただけだから次は大丈夫」
デビューしたての頃は、一つゲームが終われば指導者と次に向けてリアリスティックに反省点を洗い出していたのに。

こういう状況になると、本人もどっぷりその環境につかってしまう。かつて指導者に必ず直すように言われていた欠点を「これも自分の持ち味だから」みたいに言い出して、それを周囲が、そのとおりそれがあなたの魅力ですと持ち上げる。
この頃には、技術的な欠点を本人が直すまで指摘し続けてくれるような人は既に周囲からいなくなっている。

冷静に考えれば、どう考えても結果が残るはずもない。あまりにひどい結果が続くので、そのうち周囲も結果をフォローするのをやめ、見なかったことにして「次こそ頑張りましょう」しか言わなくなる。

そして1年、2年、3年たつ。かつては何の話題にも上らなかった同期の平凡な評価だったプレイヤーが、彼を上回る成績を出すようになっている。
更には、彼より若く、後にデビューしたプレイヤーが彼以上のリザルトを出し、彼を追い越していくようになる。
そこで世間でも、冷静に物を見ている人たちは、彼の現状に気づいてしまう。「一時期ちょっと良かったけどその後は全然伸びないね」と。

人間にとって「注目を浴びる」というのは本当に麻薬みたいなもの。
最近では炎上系Youtuberと言われる人がいるけど、普通の考えだと「いくら注目浴びてもそんな悪いことでは意味がない」となるところを、一度注目を浴びる快感を知ると、そしてそれが大きいほど、人はそれをやめられなくなるのだ。
注目を浴びたいという気持ちがいい方向に向けば、そのために苦しく辛い勉強やトレーニングに励むという自己研鑽の王道になるけれど、書いてきたようなスポイルが始まっているケースだと王道を進むことはもうない。

心のどこかでルーキー自身も、自分の成績が下がっていることはわかっている。だから、彼は周囲やメディアに「(ライバルに)今度は勝てると思っている」とか「今度こそ結果を出す」といった、彼の現状を冷静に見ている人には違和感しかないビッグマウスな発言をするようになる。
かといって、練習に身を入れたりはしない。変わらず、地道な練習はおざなりで早々に切り上げ、取り巻きと繁華街に繰り出して遊び騒いで楽しく過ごす。
酒が残っていたり二日酔いなどコンディション不良で、翌日の練習やゲームに平気で出たりする。それが物事に取り組む真摯な姿勢なのかという疑問を本人は持たないし、周囲も誰も指摘しない。そして、もちろん結果は出ない。

彼が渇望する注目は、結果を残し周囲から賞賛を受けることでしか得られない。勝つことを望み栄光を求めているのに、練習には打ち込まず量も人並み以下というひどくアンバランスな状況が生じ、そして結果が出ない日々が続くことが、どんどん彼の何かを壊していく。
この頃には、取り巻きとの接点を断ち切って一人で自主トレに専念するといった、ごく普通の対処策すら彼には思い浮かばない。
栄光へのアプローチとしての努力というプロセスが意識から完全に欠落する。

大事なことを忘れてしまう。それが、スポイルされるということ。

こういう状況は、かつてサッカーで「スターシステムの弊害」と言われた。
多くの人が知っている現在活躍中の若手トッププレイヤーがデビューしたての頃、所属チームが彼の将来のためとして、メディア取材をシャットアウトに近いレベルで制限し、その対応をメディアが過保護だと声高に批判したのは記憶に新しい。

かといって寄ってきた人間は、憧れなりビジネス的思惑なりに基づいて行動しているだけで、彼らが悪いとも言えない。
そういう人間を周囲に置いた本人の責任と言えばそれまでだし、私もそう思うが。
でも、本人にとっては、結果が出たときにとても居心地のいい状態が自分の周りにできていて、その心地よさから抜け出せなかっただけでもある。人間誰しも、自分にとって都合の良い環境をなかなか捨てられないのもまた事実。

誰が悪いという話ではないのかもしれない。でも、誰にも責任がないのならどうすればこういう事態は避けられたのか。そこが誰も答えられない。
書いていても救いがない話なんだけど、本当に救いがない。ただそうだったという多くの事実があるだけ。

でもね。これはほんとによくある話なのです。ほんとに。